逃源郷

世界は闇なのか

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想いの電波、再び。

最近、自分の思考形態が明らかに左寄りに傾きすぎていると思う。世の中や社会に対する非難ばかりが浮かんできて、いわゆるマイナス思考に陥っている。もっと社会や人間に対して、良い面を探していくべきだと思うんだが…。
 そんなわけで、今「マルクスだったらこう考える」(的場昭弘著、光文社)を読んでいる。興味のある分野でかつ分かりやすく平らな文章なので、大変読みやすい。タイトルから察する限り、「共産主義万歳!」とか「労働者よ団結せよ!」といった極左的なことをイメージしそうだが、全くそんなことはない。作者はマルクスの考えを現代に照らし合わせ、中立的な立場から世の中の仕組みを批判し、より良い社会にするにはどうすべきかを訴えている。
 一つ衝撃的だったのが、ミシェル・フーコーの文献の引用を借りた権力による統治論についてだ。作者は「支配者がコストを低く抑えて統治するためには、厳しい監視による統治法よりも自己責任による統治法を見出すべきだ」と述べている。厳しい監視による統治すなわち恐怖政治には、権力を民衆に見せつけるための人件費や軍事費などの費用が多くかかってしまう。しかし、労働し自己の欲を追求しようとする”自己規律化された人間”を創出していけば、政治コストを削減できるというのだ。これは、国家の都合のいいように市民が規律化され、教育されているとも言えるのでがないか。これは大変おぞましいことである。今自分達が自由であると思い込んでいる生活や社会は、実は権力者によって都合のいいように作られた虚構のようなものなのかもしれない。幾分古い主張かもしれないが、やはり当たり前の既存の事実には、疑いを持ってかかるべきだろう。
 かねてから抑圧されている弱者やマイノリティを救うためにはどうしたらよいかを考えることがある。抑圧者=弱者で、支配者=強者という二項対立の枠組みがある。しかし強者を無視した弱者の人権のみを救う考え方は、実は誤っているのではないだろうか。作者は、「弱者にも支配者になる可能性は存在する」と述べている。つまり抑圧された弱者にばかり目を向けていれば、今度は支配者側の人権が侵されかねないというのだ。排除された弱者の苦しみはもちろんのことだ。しかし、人間は皆生きている限り何らかの苦しみを抱く存在であると思う。それは、富者やエリート官僚とて同じことではないのか。人間の苦しみには大小の差などなく、みな同じであると思うから…。”弱者を救う”のではなく”弱者と共に”と言うべきかも知れない。
 そこで作者は、「クィア理論」や、「マルチチュード」という言葉を引用して、「排他性のない多様な社会を構築すべきだ」と主張している。性や民族、職業に属する世の中の様々な人間は、それぞれが人権を持っていて、かつお互いを認め合っている水平的な共生社会システム。そこは、支配者/被支配者、権力者/抑圧者と言う構図は存在せず、真に平等ないや個人がそれぞれの発言権を持つ調和の取れた多様な社会と言えるだろう。
 また財産の面では、「私的所有の持つ排他性を失くすべき」と主張している。つまり富裕者が所有を独占せずに、それを貧者に対して分け与えようとする意識を持つ。つまり、”幸せのおすそわけ”だ。7/11付けの朝日新聞の夕刊で、路上生活を経験したことのある37歳の男性が、日雇い作業用の会社の空き部屋をフリーターや家賃の払えない若者に安く提供する事業を起こしたと言う。宿の名は「レストボックス」といい、東京を中心に15箇所にも広がっていると言う。住む場所の無い者に、それを与える。これこそまさに、”幸せのおすそわけ”とまではいかないが、苦しみの分かち合い、弱者に目を向けた活動であると言えるのではないか。
 こういったことを考えると、社会や世の中に対して一体自分はどんなことが出来るのだろうと思う。労働運動や大規模なデモやストライキを行えば、社会の仕組みが一変するものだとも思えない。別にそういった運動を否定している訳ではないが、いわゆる革命というものはもう起こりえないのだ。世の中は資本家/労働者といった二項対立で割り切れるような単純な仕組みでは、もうない。
 そうすると、個々人や地域が小さいながらも活動をしていくしかないのかもしれない。7月30日に、東京有明コロシアムで大規模な憲法改憲に反対する。「九条の会」の講演会が行われるが、それで果たして九条の改憲を免れるともかというとそうは思わない。しかしそういった活動が、人々の心の中に平和への意識を芽生えさせ、浸透させていくことは出来ると思う。人間の存在は、網の目のように繋がり合っている。一個人から別の他者へ、そしてまた別の他者へ浸透していく個人の意識と意思。

それを信じるしかないのだろうか。


伝われ、この想い!
伝われ、生きる固体から発する電波!
伝われ、そして動いていけ!



今の自分に出来ることは、これだけです。 


denpa.jpg

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  1. 2005/07/13(水) 03:06:23|
  2. 本について|
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弱者を救う思想

今回は
小泉信三 『共産主義批判の常識』 1949年 講談社学術文庫
を紹介します。
この本は、かねてから興味があった社会主義・共産主義に関する知識を得たいと思い読み始めました。かなり古い本ですが、史実と文献分析に基づいて忠実に書かれているので、時代性を感じることはほとんどなく、分かりやすく読みやすいものでした。
自分がそれまで抱いていた共産主義とは、いわゆる”左翼的”だとか、マイノリティーでちょっと危ない匂いをかもし出しているイメージでした。ただ、それはあくまで誤った先入観であることを、この本は証明してくれました。共産主義の根本にある思想は、暴力でも一権独裁でもなく、あくまで弱者を貧困から救い、彼らに自由で平等な権利を提供するところにあります。
共産主義に対するマイナスなイメージが蔓延しているのは、おそらく社会主義国ソ連の崩壊が要因の一つとしてあるように思えます。ソ連はレーニンやスターリンによって、マルクスの思想を受け継いだ形で国づくりが行われていきました。しかし、2人はマルクスの思想を誤って解釈し、間違った方向にソ連は進んでしまったと、作者は主張しています。ソ連では貧困から救うために、国が食物を民衆に提供する代わりに、強制的に民衆を労働に駆り立てていたというのです。よく知られているように、それは囚人労働と呼ばれていて、人々の間には思想や言論の自由などほとんどといっていいほど無く、人間が持つ自由な権利など存在していなかったようです。ソ連崩壊後に明らかになった社会主義国の実態が原因で、共産主義に対する不信が蔓延しているのだと思います。かくいう自分も、この本をバイト先の合間に読んでいたら、隣に座っていた先輩の女性に「何でこんな本読んでるの!?気持ち悪ーい!!」となぜか引かれてしまったのを記憶しています。電車で読むときも、カバーが見えないようにこっそり読んでいました。
ともあれ、共産主義の思想を紹介しながら、あくまで作者はタイトル通り共産主義を批判しています。マルクスが主張する共産主義には、”プロレタリア革命が起こるには資本主義の崩壊が必然である”という主張が存在します。つまり、世の中に貧困が生まれるのは資本主義が原因で、その成長が貧困をますます生み出し、それが崩壊すれば世の中から貧困は無くなり弱者の立場はよくなるというのです。しかし、作者はヨーロッパの資本主義国を例に取って、資本主義が成長すればするほど市民の生活が苦になるどころか、逆に生活の質は向上し貧者は少なくなっていくと主張しています。そしてそのためには、よく働き勤勉しなくてはならないと声高にさけんでいます。つまり、共産主義における革命は資本主義の崩壊をじっと待たなければならないのです。資本主義の崩壊なしに、革命など起こりえないのです。資本主義は悪の権化どころか、あらゆる社会システムの中では、相対的に比べると圧倒的に優位なシステムであり、それが崩壊することは今ではもう考えられないでしょう。
今日、共産主義は終わった思想だといわれていますが、”弱者を救う”という根本にある思想は受け継いでいくべきであり、それがこの思想のもつ永遠の魅力なのだと思います。
ちなみにこの本は、搾取論や経済システムに関する言及もなされているので、何度でも読み返すことのできる共産主義の格好の入門書であると思います。
もうひとつ、今読んでいる
今村仁司 『マルクス入門』 2005年 ちくま新書
もマルクスが掲げた思想を知るのに役立つ本です。






  1. 2005/06/21(火) 02:04:39|
  2. 本について|
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  4. コメント:0

めざめ

今回は、たまには大学生らしく、自分が読んだこれまでの政治思想・社会思想系の書籍の紹介をしたいと思います。
その前になぜ自分が、それまでまったく興味がなかった政治・社会系の本を読み始めようと思ったかを説明したいと思います。
そのような本を、本格的に読み始めたのは去年の11月頃なのですが、それまで自分は太宰治や吉本ばなな、重松清の小説をちょこっと読むくらいで、まったく政治・社会系の本は読んだことがありませんでした。つまり、自分はまったくと言っていいほど、政治や社会に対する興味関心が無かったわけです。新聞は読んでいなかったし、TVのニュースも起こった犯罪や事件に関するニュースならともかく、アメリカとイラクがどうしただの、自衛隊がどうしただのというニュースには全くといっていいほど、目が向きませんでした。
そんな自分に一つの衝撃を与えたのが、去年の10月末に起こった、イラクでの香田さん人質事件です。
当時自分はオーストラリアへ、ワーキングホリデーをしたいと考えていました。というのも、毎日の日々に刺激が無く、退屈な日常を抜け出して海外にでも行けば何か目新しいものでも見つかるのでは、と考えていたからです。海外への憧れと言いますか、海外での旅への憧れであったのかもしれません。でも、そのときは行こうとする決意がいまいち起こらない状態でした。そんなときに耳にしたのが、この香田さんの事件です。そして、驚いたことにその香田さんもワーキングホリデーをしていて、その最中に人質にあったというのです。香田さんがイラクへ行く直前に対面した人物によれば、香田さんは危険であることを承知でイラクに赴いていったというのです。自分は当初、その香田さんの行動が理解できませんでした。でも、ワーキングホリデーをして、日本以外の各地で起こっている貧困や紛争を目の当たりにして、それがイラクでも起こっていると知ったときに、いてもたってもいられなくなったのではないかと考えるようになりました。香田さんのその行動は、自分が一体イラクで起こっている悲惨な状況に対して何ができるかを、真剣に考えた末の結果だったのかもしれません。これは、あくまで自分の想像に過ぎません。でも、ひょっとしたら自分もワーキングホリデーをしていたら、同じ境遇に陥ってしまったかもしれない…。世界には、同じような事件に遭遇する可能性のある人がたくさんいるのではないか…。
結局政府は、テロ集団の自衛隊撤去の要求をのまずに、香田さんはテロ集団によって殺害されてしまいました。自衛隊を撤去したくない理由が政府側にあるにせよ、香田さんがイラクへ行ったのは自己責任の問題だと、事件を香田さん一人だけのせいにして問題を解決しようとした政府に対して怒りを感じます。一人の人間の命が、国の利益のために見殺しにされてしまったのです。香田さんが涙ながらに、小泉首相に撤退をお願いしていた映像は、今も頭に鮮烈に残っています。香田さんは、テロ集団にではなく、日本と言う国によって殺されたといっても過言ではありません。また、その殺害の映像をネットで見て、気持ち悪いだの、おぞましいだのと口にして、事件や香田さんに対して考えを追求しようとしない人たちに対しても怒りを感じます。香田さんの死が、ネット上でもてあそばれているようで仕方がありません。それは、香田さんの尊厳を傷つけていることにもつながると自分は考えます。
この事件をきっかけに、一体今イラクで何が起こっているのか、なぜ日本の自衛隊がイラクに駐留しているのかといった疑問が沸き起こるようになりました。そしてそれにはアメリカと言う存在が深く関わっていて、イラク戦争が起こり、日本はアメリカに追従する形で自衛隊を駐留させていることが、だんだんと分かってきました。ではなぜ日本は戦争に参加しない国で、憲法9条がそれを保障しているのに、自衛隊を派遣させるのか…。こういった疑問を解決させるために、新聞を読み、ニュースを見るようになり、そして本を読み始めるようになったのです。
こうして、自分は世界で起こっていることや社会に対して目が向くようになりました。香田さんの事件をきっかけに、自分の世界は広がっていったのです。ただ、以前にも書きましたが自分の世界を構成しているのは新聞やネットで得た知識だけではなく、自分以外の世界=他者、つまり自分がこれまで出会った友人の影響も左右していることは重要なことです。自分という存在は、決して自分一人の力だけで成り立っているわけではないのです。
話は長くなりましたが、香田さんの事件を機に自分はそれまで興味の無かった、政治・社会系の本を手にするようになりました。ただ、自分はもともと活字が苦手で、そんな自分にとって本を読む行為はかなり骨をおる作業であります。読むペースもかなり遅いです。それでもなんとか、これまでにいくらかの本を読破することはできました。そして、これからそんな今まで読んだ本のいくつかを紹介していこうと思います。


仲正昌樹 2003年 『「不自由」論ー「何でも自己決定」の限界』
……この本は、香田さんの事件でよく話題となった”自己責任”という言葉のもつ意味と、その背景が知りたくなって読み始めました。そもそも自己責任から生じる”自己決定”とは、果たして自分一人だけの判断によるものなのか、周りの環境に左右されることはないのだろうか。その答えに作者は”NO”と答えています。人間という存在は、育った環境や周りの家族、さらには育った場所の社会通念、分かりやすく言うと”イデオロギー”や”法”によって規定されるものだ、と作者は主張しています。つまり、人間の純粋な主体性はもともと存在しないわけで、必然的に社会性を帯びるものだとも主張しています。だから、香田さんの事件を例にとると、それを単純に本人だけの自己責任と決め付けるのではなく、イラク行きを止めようとすることができなかった、もしくは説得することのできなかった周りの環境にも少しの責任はあったのではないかと、自分は考えます。この本は、アーレントやルソー、リベラリズムへの言及もしてあって、興味深いし、読みやすいので、お薦めの本ですあります。

次回は、小泉信三氏の『共産主義批判の常識』を紹介したいと思います。


  1. 2005/06/18(土) 02:02:30|
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人非人

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