逃源郷

世界は闇なのか

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新着、さるさる

最新のさるの情報を、ピックアップ!
皆さん、チャンネルはそのままで。

赤い首輪が、きらり☆
sarusaru.jpg


まん丸い、目!
sarusaru2.jpg



やっと抜け毛がおさまってきた最近のさる。
暑いからか地べたにぺたっとなっている最近のさる。
よりいっそう可愛らしさが、いじらしさが増してきた最近のさる。
新着、さるさる。
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  1. 2005/07/31(日) 16:42:56|
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いよいよ明日

九条の会、有明コロシアムにおける大規模な憲法改憲反対講演会が、いよいよ明日に迫りました。
九条の会発足から、およそ1年。
1万人以上の人が集まるそうです。
ただ、
直前になってこんなこと言うのもなんですが、
こんな講演会やったぐらいで、九条の改憲は免れないと自分は思います。
そもそも、自分が行く目的は九条改憲に反対するからではありません。
正直、その講演会の内容は何でもいいわけではないけど、実際何でもいいのです。
ただ、
TVや新聞を読んだだけでは感じることの出来ない、
生のエネルギーを直接、体で感じたいのです。
そうして、それによって起こる自分の中の化学変化を実感したいのです。
そしてその化学変化によって生じたエネルギーを、今度は自分が違った形で発散していきたいのです。

頭で、家で、ミスドで、図書館で、本で、TVで、新聞で、
自分以外の世界=他者について思いをめぐらすだけでは、
この体が、もったいないのです。

うねる。
暑さを。
太陽を。
光を。
耳で、手で、足で、頬で、胸で、指先で、深爪で。

九条の会公式HP→http://www.9-jo.jp/


uneri.jpg

  1. 2005/07/30(土) 00:00:27|
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未、ANSWER

Q:あなたは、いったい何者ですか?
A:………(無言)

さて、こんな質問をされたら皆さんは一体どういう答えを出すでしょう。


今日、卒論ゼミ担当の教授の授業があった。
自分は、卒論の題目がまだ決まっていない。
しかし、後期は一応興味のある分野である政治哲学系の他学部の演習に出ようと思っている。
それを教授に言ったら、
「卒論は受信するのではなくて、発信しなくてはならない」
と、答えが返ってきた。

オリジナルな発信とは、なんぞや。
自分は、今、ここから、かくかくしかじかこういうことを発信したい。
それを研究するためには、熟知者の協力が要る。
よし、じゃああの演習に出よう!


あなたが、今ここにいるのには、それなりの歴史がある。
あなたを、教えてください。
あなたが、誰かを教えてください。
あなたが発したい、あなただけのものはなんですか?

A:えー、それではあなたの自己ピーアールを聞かせてください。
Q:………(無言)。そんなこと、分かりません。ただ、右往左往して迷い続けているだけです。
A:不合格!


mi.jpg

  1. 2005/07/29(金) 00:52:07|
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『宇宙戦争』

いや?、予想通り超つまらなかった。

まあ、特撮すごかった。
地面が割れるとこ、すごかった。

でも、
トム・クルーズの娘の救い方は間違っている。
この『宇宙戦争』は全世界に公開されるんだから、ティム・ロビンスを殺してはいけない。

若い息子は戦争に惹かれすぎている。
「アメリカは、最強の国。」
「あの日本でさえ、トライポッドを一体倒している。」

宇宙人は宇宙人であって、決してテロリストではない。

最後に、この映画も怖かったけど、
今日学校の授業で観た、アザラシの解体ビデオの方がよっぽど怖かった。

早く、こういう映画が世の中いやアメリカからなくなるといいな。
支払われた1300円は、一体何に使われるのでしょう。

ぼろくそ。
ぼろくそ。

追記:この映画を鑑賞中、映画館がぐらぐらと揺れました。
新手の映画館の仕掛けか何かか?
スクリーンと一緒に揺れまくる映画館ってのも面白いかも。
1300円払ったんだから、それぐらいしてもいいんぢゃん。


20050728203752.jpg

  1. 2005/07/28(木) 20:38:04|
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『ユメノ銀河』

 「エンジェルダスト」「水の中の八月」の石井恥互監督の1997年度作品。
yume3.jpgビデオ屋で、モノクロ風のパッケージとそのタイトルが前から気になっていたので借りてみた。原作は、日本探偵小説三大奇書の一つとされている小説「ドグラ・マグラ」を書いた作家夢野久作の短編小説「少女地獄」の中にある「殺人リレー」を基にしたものらしい。有名な作家であるようだけど、この作品で初めてその名前に触れた。
 戦後間もない地方都市。バスの女車掌として働く小峯麗奈演じる主人公トミ子の会社に、ある日運転手として浅野忠信演じる新高が配属されてくる。不思議な魅力を持つ新高に、次第に惹かれていくトミ子。しかし彼は、女車掌と恋に落ちては次々に彼女達を死に追いやるという疑惑があり、それが女車掌の間で噂になっていた。新高に疑惑の目を向けるトミ子。彼の本当の真意を探ろうとするが…。

yumeno2.jpg映像はモノクロームで、しかも昭和の古めかしい雰囲気が見事に再現されている。ちなみに、撮影は千葉県の野田市で敢行されたようだ。
 ”単調でスリルのないこの現実を生きるよりも、恋に落ちて死へ至ることを選ぶ。”映画の主張は、この一言に尽きるのだと思う。トミ子は、単調でしかも運転手から道具のように扱われる車掌としての毎日から逃避したいと思っている。そんな時に目の前に現れた新高は、彼女にとって新鮮で退屈な現実に一つの刺激を与えてくれたのだろう。もしかしたら、彼の手によって命を奪われてしまうかもしれないのに…。
 最後、トミ子は結局新高を信じきれずに、バスは事故に遭いトミ子だけが助かってしまう。新高を愛していたはずなのに、最後まで疑いを消すことの出来なかったトミ子。身ごもった子供を、後悔の念と共に、彼の身代わりとして育て続けるのかもしれない。


監督石井恥互のフィルモグラフィー→all cinemaオンライン
原作者夢野久作情報→フリー百科事典ウェキペディア


yumeno.jpg


  1. 2005/07/27(水) 21:33:47|
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確かな青

<不確かなもの>

『存在』…(読み)そんざい(意味)事物があること。人物が居ること。また、その、ある(居る)もの。
『自分』…(読み)じぶん(意味)?その人自身?わたくし
『自信』…(読み)じしん(意味)自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心。
『価値』…(読み)かち(意味)どれぐらい大切か、またどれぐらい役に立つかという程度。またその大切さ。ねうち。

[以上、岩波国語辞典より]

なぜ?
どうして?
why?


<確かなもの>

何?
どんな?
what?

チンダラースーガーヨー
アーヨイヨイ
アーヨイヨイ


ao.jpg

  1. 2005/07/27(水) 19:48:03|
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友達のわっ

えー、今日からミクシィに加入しました。
知ってます?ソーシャルネットワーキングサイトというやつです。
これに加入すれば、友人の友人のそのまた友人のブログや日記を拝見できるようです。

広がる輪。
可能性の輪。

そのうち、昔好きだった初恋の人に、ネットの中で再会できるかもしれませんね。


tomodati.jpg

  1. 2005/07/27(水) 00:07:42|
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『誰も知らない』

 04年度カンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した、「幻の光」「ワンダフルライフ」の是枝裕和監督の去年公開作品。
daremo4.jpg実はこの「誰も知らない」、去年舞台挨拶を兼ねて有楽町シネカノンに朝早くから赴いたのだけど、何とその日1日全部のチケットが売り切れていて、舞台挨拶どころか映画自体観れずに、そのまま千葉にとんぼ返りしたという苦い経験のある映画だ。その後劇場で観て以来、もう一度どうしても観たかったので、先日DVDを借りてきた。
まず何がいいって、やっぱり子供たちの自然な演技。監督はドキュメンタリー出身だけあって、役者は演技をしているのか、それとも普段の会話を隠し撮りしているのか分からなくなるくらいナチュラルな動きを役者から引き出している。あと、YOUの無責任だけど、どこか憎めない母親役も見事にはまっていた。

daremo6.jpg映画は途中で母親が家を出て、子供たちだけの生活が始まる。それにしても長男明の、弟妹を守り抜こうとする責任感、そして家を出たのにも関わらず変わらない愛情を母親に抱く子供たちの無垢な心は、一体何処から芽生えてくるのだろう。子供たちは母親がいないのに、泣き喚いたりしない。ただ、窓のそばで帰りを待つだけだ。母親の不在はやがて、子供たちだけの生活を退廃へと導いていく。夏の蒸し暑さが、それに拍車をかけてどうにも痛ましかった。やっぱり、子供たちだけで生活をしていくには限界があるのかもしれない。

daremo5.jpgあとラスト、妹の亡骸を土に埋めた後、朝焼けの中を明と紗希が橋の上を歩き進むシーン。その夏の朝の涼しさと、まだ熱くない朝日と、静かな街の佇まいが、何故か小学生のときのラジオ体操を思い出させた。そして、何故か泣けた。記憶の彼方にあった、忘れていたはずのイメージが体の中によみがえる。夏休みの朝の静けさ。そんな夏を過ごしていた事を思い出した。


是枝裕和監督オフィシャルHP→http://www.kore-eda.com/
「誰も知らない」DVD情報→アマゾンHP
ドキュメンタリー「誰も知らないができるまで」DVD情報→アマゾンHP
事件の元ネタ→西巣鴨子供置き去り事件
挿入歌「宝石」を歌っているタテタカコさんの公式HP→http://www.tatetakako.net/

daremo7.jpg


 ちなみに去年この映画を観た後、ミーハーなので中野の高円寺に行ってロケ地巡りをしてきました。といっても見つかったのは明が通った商店街と、後半で明と茂がけんかした空き地の二箇所だけ。かなり歩いた挙句、アパートと三角道路は見つからず…。せっかくなので、そのとき撮ってきた二枚の写真をアップします。

明が通ったであろう高円寺の商店街
daremo.jpg


明と茂がけんかしたであろう空き地
(明がミニカーを蹴飛ばした所)
daremo2.jpg



  1. 2005/07/26(火) 04:22:38|
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さる、放出。

久しぶりに、さるの写真を放出。ファンの皆様、お待たせしました(っているのか?というか自分です)

光る眼、風呂場にて
housyutu3.jpg


光る眼、玄関にて
housyutu2.jpg


潜むさる、ダンボールの中にて
housyutu.jpg


極めつけ!くらえ?
housyutu4.jpg



以上、どばっとさるの写真、大放出の巻でした。
(写真をどっかで使用する場合は、著作権が発生しますのでお気をつけ下さい☆)←もちろんうそです
  1. 2005/07/25(月) 21:13:21|
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『ライフ・イズ・ミラクル』

 95年度カンヌパルムドールを受賞した「アンダーグラウンド」、他数々の作品で映画賞を受賞しているエミール・クストリッツァ監督の最新作。
life2.jpg公開2日目、シネスイッチ銀座にて、ほぼ満席。この「ライフイズミラクル」は「バッドエデュケーション」、「ヴェラ・ドレイク」に続いて今年どうしても観たかった内の一つだ。観た後の満足度で言えば、今年1番かもしれない。喜劇というものを多分に初めて観たけど、猫やら犬やらたくさんの動物が飛び出すは、管楽の音楽が鳴り響くは、壮大な自然が画面いっぱいに広がるはで、作風は今までに無いものだった。ただ物語は、ボスニア戦争を題材に扱っているので、そうした社会状況が頭に入っていればもっと倍に楽しめたかもしれない。

life3.jpgその物語は、敵側の捕虜と恋に落ちた男が、その捕虜と自分の家族の一員を交換する立場に立たされ、恋をとるか家族をとるかの板挟みになるという実話を基にしたもの。舞台はボスニア近くの田舎村。村のすぐそばで戦争が起こっているというのに、終始映画は明るく楽しいムードに包まれている。戦争という暗い事実を感じさせないくらい、人々は明るく楽しいユーモアに満ちた生活を送っている。だからだろうか、時折飛び出す銃撃や爆撃音がなぜか余計に痛ましく感じるのは。映画の中で、セルビア人が敵を銃で狙い撃ちしようとする場面が何度か登場する。その人の楽しい生活が一瞬にして壊れることが予想できて、血が激しく飛び出すわけでもなく、ナイフで切り刻まれるわけでもないのに、その殺害シーンは異常に痛ましかった。普段テレビやアクション映画で、人が撃たれて死ぬ場面なんて見慣れているはずなのにだ。こういう喜劇の中にうまく盛り込まれた悲劇性が、戦争という現実を痛く感じさせてくれる。

life4.jpgこの決して結ばれないであろうセルビア人の主人公ルカと、ムスリム人のサバーハの恋物語は、パンフレットにボスニアの「ロミオとジュリエット」と評されていた。後半、喧嘩別れしていなくなったルカの後を必死で追いかけるサバーハ。その道中にはルカの衣服がいくつも木にくくられていて、行き着いた先の小屋ではルカが裸で待っていた!そしてその後、2人はベッドに乗ったまま空中を浮遊して、ボスニアの大自然を空から眺める微笑ましいシーンの素晴らしきこと!この下りが、この映画を今年1番のものへと押し上げました。
 あと、もう一つルカの妻ヤドランカの狂気っぷりがまじウケた。この人出るたびに笑いが吹き出した。


 ということで、最後に補足。ボスニア戦争の現実を描いた映画に他に「ウェルカム・トゥ・サラエボ」があるのでこちらもおススメ。作風はこれとは180度違ってドキュメンタリー色の強いものだ。詳しくは作品名のリンク先へ。
 あと、旧ユーゴの民族浄化の真実に迫った書籍に『終わらない「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(木村元彦著、集英社新書)があります。こちらもユーゴスラビアの現状を知る上で貴重な資料になりそうです。必読!(まだ未見ですが…)


life.jpg

  1. 2005/07/25(月) 01:12:01|
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漂流する固体

精神の動き。
そして、行動(活動)。

この内的で抽象的なものを、外の現実へ発散させる活動。

人間は、使命を持ってそれを発動させないと、もろくも崩れ去ってしまうのかもしれない。

形ないものと、形あるもの。

人間は、頭だけで生きているのではない。

その心と体がある以上、その固体を外部の社会に対して働きかけていかなければならない。

空想。
理論。
思考。
空虚。
空虚、空虚。


hyouryuu.jpg

  1. 2005/07/23(土) 03:20:27|
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「埋もれ木」、再び。

 今日は、映画『埋もれ木』の小栗康平監督の「ファンタジーとしての映画『埋もれ木』」という講演会を聞くために、早稲田大学に行って来た。今年4月に完成したという小野梓記念館という、ものすごい綺麗な講堂で行われた。人かなり混雑すると思って早めに到着したが、会場は空席が多少あった。やっぱり小栗監督って、あまり世間に知られていない人なのかな。
 監督は講演中、大衆映画と自分の映画の、その作り方の違いを強調していたように思われる。分かりやすい大衆映画は、おそらく誰が観ても同じ所で感動し、そして誰が観ても劇中の人物同士の関係性も等しく同じように捉えるのだろう。つまり映画はただそこに客観的に存在しているのであって、個人の主観性が介入する隙を与えない。そこでは観る側の思考は停止させられ、作り手の意図によって感動が一方的に強制されているとも言えるだろう。
 自分も派手な大衆映画をたまに観ることがある。映画を観ている間は、そのストーリーやCG に感動し、躍起する。しかし、どうだろう。観終わった後には、ただ楽しかったという事実だけが残り、その映画を通して社会を、世界を、自分を、他人について考えをめぐらすことは、まずない。監督はそういった思考の停止状態が、多様で複雑な現実を単純で分かりやすい一元的なものとして捉える傾向を強くさせることを悲観していた。つまり、現実や社会を”見る”目を失って、想像力が欠如していくというのだ。
 小栗監督の「埋もれ木」は、多数の遠くからの長回しの使用や、分かりやすいストーリーと人物の関係性の排除によって、観る側に”見よう”とする力と想像性を与えてくれる。観る側は、受動的ではなく、能動的に映画に関わることを必要とされるのだ。
 もう一つ、この「埋もれ木」の画面構成は、モノや自然や人間が混然一体となっていて、例え人物が喋っている時でも顔をアップにはせず、画面は必ずといっていいほどモノや自然に囲まれている。監督曰く、人間は本来自然と一体をなす存在であって、内と外を区別すべきではないと。帰宅してから、なんとなく普段は夜になったら閉める窓のシャッターを、開けたままにしておいた。

 ちなみに、講演が始まる前大学近くのジャポカレーインというカレー屋で早稲田カレーなるものを食べてきました。値段は600円。メニューには他に東大カレー、慶応カレーなど東京にある大学の名前をとった全部で9つのカレーがあって、これを制覇したらポークカレーがただで食べられるそうです。早稲田カレーは、ポークカレーの横にサラダとから揚げがセットでついていました。全部制覇したら、偏差値がちょっと上がるかもしれません。
 ちなみに講演が終わってから、会場の外をうろついていた監督にお願いして、サインを書いてもらいました。いやぁ?、緊張した…。


小栗康平監督オフィシャルHP→http://www.oguri.info/


夜の早稲田大学大隈講堂
umoregi2.jpg



監督のサイン、分かります?
sain.jpg

  1. 2005/07/23(土) 01:07:51|
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『創』…(意味)物事をはじめる。はじめてつくる。(熟語)創始、創作、創意など。[岩波国語辞典第6版より]

この前、夜のTVのニュースで「15歳の中学生とアフリカルワンダに住む元少年兵との交流」に関する特集をやっていた。これは、私立の中高一貫校の教師による企画で、この教師はルワンダでの生活支援を行うNGOにも参加していて、現地の子供たちと遠く離れた日本の中学生との交流を図って発案されたらしい。15歳の中学生たちは、日本を紹介するためにビデオカメラを持って東京の街に繰り出し、ビルや駅、または流行のおしゃれ雑誌などを映し出す。そして完成した映像をルワンダにいる子供たちに見せて、異文化交流をする。
また、このルワンダは武装ゲリラによって幼い少年や少女が拉致されて、兵士として駆り出されるという紛争が多発している地域らしい。そんな同じ年齢の子供たちが、銃を持って紛争に参加している事実に対して、自分たちに一体何が出来るだろうか。ルワンダの親元のいない子供たちは、そのメッセージビデオを食い入るように見ていた。

ビデオを作製した15歳の少年は「これからも色んなことを真剣に考えて、それを行動に移していきたい」と、インタビューで答えていた。


今日、千葉駅前を自転車で通ったら、ある団体が憲法9条護憲を訴える街頭演説をやっていた。ただ、黙々とビラを人々に配る団体の方。一体誰に訴えているか分からない、ただ声高に平和を訴える団体の方。正直、ビラをもらう気になれなかった。こういう光景を、よく街で見かける。これは”運動”であって、地に足をつけた”活動”ではないと、思った。


sou.jpg

  1. 2005/07/21(木) 23:23:19|
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ヴェラ・ドレイク

 04年度ヴェネチア国際映画祭で、金獅子賞と主演女優賞を受賞した「秘密と嘘」「人生は時々、晴れ」のマイク・リー監督最新作。
 「バットエデュケーション」に続いて今年観たかったこの映画を、やっと観ることができた。上映会場のテアトル銀座の客層は、やや年配の方々が多かったような気がする。
vera4.jpg内容は、中絶問題の是非を問うものではなく、家族がそれを犯したヴェラをいかにして受け入れるかという家族愛を描いている。とにかく、この監督の映画は役者の演技が上手い、というより登場人物が実際にこの世界にいるんじゃあないかという錯覚を起こさせる。マイク・リーの演出方法は独特で、俳優に自分が演じる役柄以外のことは知らせずに、脚本なしのリハーサルで即興劇を行うというものだ。そこで俳優達は、登場人物の役柄における徹底したリサーチを行い、その人物の生き方や仕草等を研究した末に本番に臨むのだという。つまり、役柄を”演じる”のではなく、役柄として”生きる”ことを必要とされるのだ。だからだろう。これほどまでのリアリティを感じるのは。こうした”自分以外の他者”として生きる経験を得られるのは、役者という仕事以外にないのではと思う。役柄を生き、自己の主観性を排すことで、今まで見えなかった新しい自己というものもその作業の中で発見できるかもしれない。

vera3.jpgあともう一つ、中絶行為が発覚してからの拘置所と法廷での後半シーン。ヴェラはただただ涙を流し、悲痛に満ちた表情をしている。正直、ここはヴェラに対する同情を引きすぎじゃないかなあと思った。ヴェラが一方的に断罪されるところは、「ダンサーインザダーク」を思い起こさせて、「ヴェラ、かわいそう!」と叫びたくなった。あと何故ヴェラが法を犯してまで中絶行為を行うのか、その動機が全く語られていなかったので、多少の物足りなさを感じてしまった。もう少し、家族の問題とかヴェラの人物像を掘り下げて欲しかったなあ。
 ちなみに最近こういう”法・倫理”と”優しさ・愛情”の間で揺れるジレンマをテーマにした映画が多い気がする。「海を飛ぶ夢」「ミリオンダラーベイビー」では”尊厳死と愛”、「やさしくキスをして」では”宗教倫理と愛”が語られていたし。しかもどの映画も(「ミリオンダラー?」は微妙だけど)、どちらか一方に肩入れすることなく、中立的立場を取っているのが特徴である気がする。それは、善/悪の単純な二項対立にとらわれない、問題の複雑さと価値観の多様性を示唆してくれる。勿論この映画も、中絶に対しての是非は問うていない。。

vera5.jpg最後にこの映画は、身近な人間、例えば家族や友人が犯した罪を受け入れて赦すことが出来るかという問いも含んでいると思う。自分の主観性を排さない限り、自分以外の存在を受け入れるのはなかなか難しいことかもしれない。そもそも、相容れない存在を許容するとはどういうことなのでしょう。映画は、家族がヴェラの帰宅をただひたすら”待つ”食卓のシーンで幕を閉じる。その行為の果てに、ヴェラ一家は再び平穏な日常を取り戻すことは出来るのでしょうか………?

  1. 2005/07/18(月) 02:12:43|
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爆・爆発

爆発、する。
大きな音をたてて。

まずは、肩が壊れ、
そして目が飛び出し、
頭が破裂する。

ドッカーンッドッカーンッ
ビッチャーンッビッチャーンッ

破ッ破ッ破ッ破ッ
壊ッ壊ッ壊ッ壊ッ

爆ッ爆ッ爆ッ爆ッ
発ッ発ッ発ッ発ッ


月が、赤かった。


bakuhatu.jpg

  1. 2005/07/17(日) 23:48:05|
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うめっしゅっ登場!

さ?らりとした?う?め?しゅ?♪♪
し?ろい???のう?え?に?♪♪

この?の部分ってなんでしたっけ?
なんとなく気になったんで書いてみました。

それはそうと、最近部屋が汚いなあ。太陽の光に照らされると、汚さがよりくっきりさ。
あと前、真夜中に隣の部屋から、ZARDの「揺れる想い」が流れていて、ちょっとびっくりしました。揺らさないで!って想いました。

そんなことで、明日は立教大学のシンポジウムに行ってきます。長いけど、耐えられるかな。


umesyu.jpg

  1. 2005/07/16(土) 00:34:31|
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あれれ?

今日、
家で大便をしようと思ったら、
トイレットペーパーがなかった。

オーマイガッ
オーマイガッ


arere.jpg

  1. 2005/07/15(金) 14:50:51|
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光の街

*(パレスチナ問題について書いています。興味のない方は退屈だから読まないほうがいいかも…)

 今日、法政大学で開かれた<暴力の連鎖>を超えて?<自爆テロ>とイスラム報道という講演会を聞きに、飯田橋へ行って来た。朝日新聞の紙面で開催の告知がされたらしく、会場には一般の方々が多数いたように思われる。講演会という名目となってはいるものの、何のことはない、中身はちょっと長い大学の講義のようなものだった。それでも京都大学からいらした岡真理教授の話は興味深く、わざわざ遠方まで赴いて聞きに行った意義はあったと思う。
 話は、現在のパレスチナ問題から始まり、日本のマスメディアがその事実を正しく伝えていないという盲点を厳しく突くものだった。これまでパレスチナ問題に無知に等しかったが、今日を機にいくらかの知識を得ることが出来たと思う。
 簡単にパレスチナ問題を説明すると、アラブにはイスラエルというユダヤ人国家が1948年に成立し、それ以来イスラエル国家内でアラブ人などのユダヤ人以外の民族排除が行われてきた。行き場を失くしたイスラム教徒であるアラブ人は、ガザやヨルダン川西岸などに難民として追いやられ、以来50年以上もイスラエルによる占領を受けて、パレスチナでの貧しい生活を強いられているというのだ。民族浄化やお互いの領地を奪い合って血で血を争う抗争が続けられている。これがいわゆるパレスチナ問題だ。ここで、岡教授が問題視しているのは、パレスチナ人によるイスラエル人へのテロ攻撃とそれに対するイスラエルの報復攻撃についてだ。こういう書き方をすると、あたかもパレスチナのテロ攻撃がイスラム過激派による残虐な行為で、それに屈しない形でイスラエルが”正義”という名の報復を行っているように思える。しかし、何故パレスチナによる自爆テロが起きるかというと、それはイスラエルの厳しい占領に対して抵抗するためなのだ。イスラエルは民族浄化、いわゆるホロコーストによってユダヤ人以外の民族、特にアラブ人を一方的に虐殺している。それに対する抵抗と反逆が、テロ行為として形に現れているに過ぎないのだ。イスラエルのそうした一方的な民族虐殺も、同じくテロ行為といえるのではないのか…。
 岡教授はここで、日本のメディア、具体的に朝日新聞のパレスチナ人の女性弁護士自爆テロ事件に関する記事を例にとって、それがこうした占領の事実を隠蔽していると指摘している。その記事に、イスラエルの占領に対する言及はなされていない。自爆テロが行われたのは、イスラム過激派によるパレスチナの反逆であって、テロの原因をそれを正当化するイスラム教の存在だとしている。
 なぜ、日本のメディアがこのようにイスラエルに肩入れするのかというと、それは日本と同盟を結んでいるアメリカがイスラエルを支援しているからである。アメリカと友好を結んでる以上、アメリカを怒らすわけにはいかない。だから、イスラエル占領の事実に対する糾弾を避けてしまうのだ。
 イスラム過激派によるテロが行われるのは、こうした占領という民族排除の事実がある。それをあたかも、テロ=悪と単純な図式に当てはめている日本のメディアを岡教授は厳しく非難していた。法政大学から帰宅して、フジテレビの夜のニュース番組を見ていたら、早速先日のイギリステロ事件を引き合いに出して、「テロなんか怖くない」という題目で特集を組んでいた。テロ犠牲者への同情を買うのはいいとして、何故テロが起きてしまったのかという事実を全く伝えていなかった。フジテレビはどちらかというと右傾だからしょうがないにしても、中道であるはずの朝日新聞までが事実を真に伝えていないとはどういうことなんだろう。それにはアメリカとの関係や、視聴者のクレーム、それによる利益の低下などの問題があるにせよ、メディアの影響力が強いことを伝える側はもっと認識するべきだと思う。
 岡教授はしかし、決してパレスチナ人のテロ行為を正当化しようとするわけではなく、パレスチナとイスラエルが共に調和して生きていく、共生の場所を築く必要があると訴えていた。この調和のためにはアラブ諸国の力でけではなく、アメリカなどの先進諸国、つまるところ日本にもその調和を担う責任はあるというのだ。
 排除を見過ごさず、他者の苦しみを少しでも和らげようとする意識。まずは身近なところから、とは言うが今の自分には説得力のある現実味を帯びた行動は起こせていない。ただ、事実を知り、それを伝える。ただ、それだけだ。
 
 
 ちなみに法政大学のタワー屋上から望む東京の夜景は素晴らしく綺麗だった。夜景は綺麗なのに、街を歩くと異臭と人ごみ。これが現実なのかもしれない。マクロな視点で見ると綺麗で偽りの無いように見える世界は実は、その中に矛盾と闇を抱えている。
 飯田橋駅近くにある神楽坂は、お祭りがあったらしく提燈が色鮮やかに飾られていた。その坂の上を、いくつもゆっくりと行き交うタクシーの群れと、酔払って幸せそうな人々。

 ここで小谷美紗子の歌詞「この社会は本当にもうどうにもならないのでしょうか」を借りて、幕を閉じようと思います。


hikari2.jpg

  1. 2005/07/14(木) 04:08:06|
  2. 政治・社会・思索(考)|
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想いの電波、再び。

最近、自分の思考形態が明らかに左寄りに傾きすぎていると思う。世の中や社会に対する非難ばかりが浮かんできて、いわゆるマイナス思考に陥っている。もっと社会や人間に対して、良い面を探していくべきだと思うんだが…。
 そんなわけで、今「マルクスだったらこう考える」(的場昭弘著、光文社)を読んでいる。興味のある分野でかつ分かりやすく平らな文章なので、大変読みやすい。タイトルから察する限り、「共産主義万歳!」とか「労働者よ団結せよ!」といった極左的なことをイメージしそうだが、全くそんなことはない。作者はマルクスの考えを現代に照らし合わせ、中立的な立場から世の中の仕組みを批判し、より良い社会にするにはどうすべきかを訴えている。
 一つ衝撃的だったのが、ミシェル・フーコーの文献の引用を借りた権力による統治論についてだ。作者は「支配者がコストを低く抑えて統治するためには、厳しい監視による統治法よりも自己責任による統治法を見出すべきだ」と述べている。厳しい監視による統治すなわち恐怖政治には、権力を民衆に見せつけるための人件費や軍事費などの費用が多くかかってしまう。しかし、労働し自己の欲を追求しようとする”自己規律化された人間”を創出していけば、政治コストを削減できるというのだ。これは、国家の都合のいいように市民が規律化され、教育されているとも言えるのでがないか。これは大変おぞましいことである。今自分達が自由であると思い込んでいる生活や社会は、実は権力者によって都合のいいように作られた虚構のようなものなのかもしれない。幾分古い主張かもしれないが、やはり当たり前の既存の事実には、疑いを持ってかかるべきだろう。
 かねてから抑圧されている弱者やマイノリティを救うためにはどうしたらよいかを考えることがある。抑圧者=弱者で、支配者=強者という二項対立の枠組みがある。しかし強者を無視した弱者の人権のみを救う考え方は、実は誤っているのではないだろうか。作者は、「弱者にも支配者になる可能性は存在する」と述べている。つまり抑圧された弱者にばかり目を向けていれば、今度は支配者側の人権が侵されかねないというのだ。排除された弱者の苦しみはもちろんのことだ。しかし、人間は皆生きている限り何らかの苦しみを抱く存在であると思う。それは、富者やエリート官僚とて同じことではないのか。人間の苦しみには大小の差などなく、みな同じであると思うから…。”弱者を救う”のではなく”弱者と共に”と言うべきかも知れない。
 そこで作者は、「クィア理論」や、「マルチチュード」という言葉を引用して、「排他性のない多様な社会を構築すべきだ」と主張している。性や民族、職業に属する世の中の様々な人間は、それぞれが人権を持っていて、かつお互いを認め合っている水平的な共生社会システム。そこは、支配者/被支配者、権力者/抑圧者と言う構図は存在せず、真に平等ないや個人がそれぞれの発言権を持つ調和の取れた多様な社会と言えるだろう。
 また財産の面では、「私的所有の持つ排他性を失くすべき」と主張している。つまり富裕者が所有を独占せずに、それを貧者に対して分け与えようとする意識を持つ。つまり、”幸せのおすそわけ”だ。7/11付けの朝日新聞の夕刊で、路上生活を経験したことのある37歳の男性が、日雇い作業用の会社の空き部屋をフリーターや家賃の払えない若者に安く提供する事業を起こしたと言う。宿の名は「レストボックス」といい、東京を中心に15箇所にも広がっていると言う。住む場所の無い者に、それを与える。これこそまさに、”幸せのおすそわけ”とまではいかないが、苦しみの分かち合い、弱者に目を向けた活動であると言えるのではないか。
 こういったことを考えると、社会や世の中に対して一体自分はどんなことが出来るのだろうと思う。労働運動や大規模なデモやストライキを行えば、社会の仕組みが一変するものだとも思えない。別にそういった運動を否定している訳ではないが、いわゆる革命というものはもう起こりえないのだ。世の中は資本家/労働者といった二項対立で割り切れるような単純な仕組みでは、もうない。
 そうすると、個々人や地域が小さいながらも活動をしていくしかないのかもしれない。7月30日に、東京有明コロシアムで大規模な憲法改憲に反対する。「九条の会」の講演会が行われるが、それで果たして九条の改憲を免れるともかというとそうは思わない。しかしそういった活動が、人々の心の中に平和への意識を芽生えさせ、浸透させていくことは出来ると思う。人間の存在は、網の目のように繋がり合っている。一個人から別の他者へ、そしてまた別の他者へ浸透していく個人の意識と意思。

それを信じるしかないのだろうか。


伝われ、この想い!
伝われ、生きる固体から発する電波!
伝われ、そして動いていけ!



今の自分に出来ることは、これだけです。 


denpa.jpg

  1. 2005/07/13(水) 03:06:23|
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埋もれ木

 「死の棘」「眠る男」の小栗康平監督、9年ぶりとなる最新作。
 正直、今の自分では理解しきれない意味難解な映画だった。客席からは、オープニングあたりから早速寝息と思しき音が聞こえたし、かなり客を選んでしまう映画なのかもしれない。
 物語には、はっきりとしたストーリーは存在しない。登場人物同士の関係性や、行動の理由付けがあいまいに描かれていて、かなりつかみづらかった。監督は、映画にストーリーを求めようとするのではなく、ただ映像に身を任せて感性で持ってこの映画を感じ取って欲しい、というような事を語っている。なるほど確かに自分は最近、ストーリー性があり、主張がはっきりしている映画ばかり観ていた気がする。誰と誰がこういう関係にあるかだとか、なぜあんな行動を取るのかといった事ばかりに目がとらわれていたように思える。要するにこの映画は、見方を誤ってしまったのだ。頭で思索するのではなく、もっと映像の美しさに身を委ねるべきだった。
 でも、大まかなテーマは”喪失と再生”なのかなと思った。岸部一徳が亡くなった娘の形見を、紙灯籠のクジラに吊るすシーンでそう思った。プログラムを見ると、物語に出てくる様々な小道具(埋もれ木やエレファントバード等)は、どれもその”喪失と再生”の意味がこめられた隠喩だったのかな。そういう数々の隠喩が映画の中に散りばめられていて、最後の祭りのシーンでそれが一つとなって昇華する。だから、ラスト、赤い馬とクジラが空へと舞い上がったとき、得体の知れない感動が沸き起こったのかな。映画が訴える主張を、ひょっとしたら無意識のうちに感じ取っていたのかもしれない。
 あと監督はプログラムで、想像性を豊かにして、不可変的な”かたいもの”を可変的な”やわらかいもの”へと変えていこう、と主張している。つまり、停滞感が滞り、もう良くはならない思われているだろうこの社会や世の中は、その見方や想像性、行動によって、いくらでもやわらくし変化を遂げさせることが出来るという事だ。人は目の前に広がる現実を、それがゆるぎない事実であると思い込みがちだ。しかし、それは単に目に映っている物を”見ている”だけであって、”見よう”としているわけではない。考え方を変え、様々な角度から事物を”見よう”とすれば、きっと今までになかった新しい発見が得られるに違いない。
 小谷美紗子の歌に「この社会は本当にもうどうにもならないのでしょうか」という歌詞がある。自分は、大きく言えば、今ある社会に対する不満に対して、何もできずに、何もしないでいる。もう何をしても変わり様がないんじゃないか、という停滞感もある。それでも小栗監督の主張するように、”見よう”とする不断の努力をし続け、かたいものを少しでもやわらかく、いや溶かしてしまうくらいの勢いを持つべきなのだろうか。
 目に見えた社会や世の中の矛盾や悪しき仕組みに対して、自分はどう対処すればいいのだろう。今の自分は、そういった”かたいもの”をやわらかいもの”にしようとしているわけではなく、ただその”かたいもの”に対して抵抗しているだけだ。反発心を抱いているだけだ。それだけではきっと何も変わらない。お金やモノ、規律や教育、法といった現実に当たり前の様に存在する全ての事象に対して、疑問を投げかけ抵抗するしかないのだろうか。
 これから、ひょっとしたらどんどんもうこれ以上見たくはない残酷なものが見えてくるかもしれない。そんな時、爆発してパンクしてしまったらどうしよう?
 ただ、自分は自分のすべきことに忠実に生きていきたい。そうなったら、大切なもの、例えばさるやもっと具体的に言えば、秋田に住んでいる家族を切り捨ててしまうかもしれない。映画「歩く、人」にもあったけど、自分のやりたいことに忠実になっていれば、それだけ自分に責任を持ち、払わなければいけない犠牲も出てくると思う。


 かなり話はそれてしまったが、この高尚な映画は何故か渋谷のど真ん中でやっている。監督曰く、娯楽や派手なアクションにまみれた映画の中にも、こういった特殊なものが存在することを分かって欲しいという願いから、上映しているそうだ。

伝われ、想い。
伝われ、生きる固体から発する電波。
伝われ、そして溶かしてしまえ!!



20050713102021.jpg

  1. 2005/07/12(火) 02:40:45|
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恋は、終わる・終

最近購入した小谷美紗子の最新アルバム「adore」。今回のアルバムのテーマは、失恋したあとにその傷から立ち直って、恋をした相手に感謝の気持ちを抱き、そしてまた新しい恋をはじめよう、という想いが込められているようです。ちなみにタイトルの”adore”とは、”愛する、感謝する”という意味があるようです。


なぜ、恋は冷めてしまうのでしょうか。
なぜ、あんなに好きだった気持ちは消えてなくなってしまうのでしょうか。

やっと、分かりました。
自分が今、どこにいて、何をしているのかを。
やっと、分かりました。
自分にとって、変わらない、確かなものが何かを。

これからも、右往左往していくでしょう。
これからも、迷い続けていくでしょう。
そうやって生きても、
譲れない、確かなものは、失くさないようしていきたいのです。

たとえ群衆の中に、独り取り残されたとしても、
自分が、”自分”であることを、見失わないように。
たとえ群集の中で、独りただずんでいたとしても、
自分にとっての正義を、貫き通せるように。

決して、ジブンイガイノセカイノイタミを、
決して、ジブンイガイノセカイノクルシミを、
忘れないように。

ニンゲンノクルシミ、ミナオナジ、
ニンゲン、ミナヨワイ……………。


  Gnu(アルバム『i』より)
 作詞・作曲 小谷美紗子

あたり前の幸せを僕は忘れているのです
僕は立って歩ける
いっぱい持ってない人はいっぱい持っている僕に
”ありがとう”を教えてくれる

たくさん持ってる僕の中から1つあげた
たくさん持ってない人に手を貸しているつもりだった
たくさん持ってない人はその中から2つくれていた
あぁ僕は はずかしかった

貧しさの中からしか本当のことなんて
学べやしない
仕事がつまらないとか パンが固くてまずいとか
求めてばかりいる

君が生きてさえくれたら僕を嫌いになってもいい
君がここにいるのは当たり前じゃない
すぐ泣く僕なんかより泣かない君の方が
ずっと傷付いていた

サバンナで走るヌーの大群が
僕の目の前で立ち止まって 僕のバカさを救ってくれた
歩けない人が転んだ僕に
何もなかった様な顔して手を貸してくれた
  1. 2005/07/07(木) 22:18:49|
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恋は、終わる?

最近購入した小谷美紗子の最新アルバム「adore」。今回のアルバムのテーマは、失恋したあとにその傷から立ち直って、恋をした相手に感謝の気持ちを抱き、そしてまた新しい恋をはじめよう、という想いが込められているようです。ちなみにタイトルの”adore”とは、”愛する、感謝する”という意味があるようです。


なぜ、恋は冷めてしまうのでしょうか。
なぜ、あんなに好きだった気持ちは消えてなくなってしまうのでしょうか。

あなたを想って、涙を流そうとしても、
泣けることができないのが、悔しい。
もう、涙は枯れ果ててしまったのでしょうか。
それとも、感情が壊れてしまったのでしょうか。

あなたが苦しんでいるのに、
自分は、
お腹が空けば、おいしいものを食べたいと思い、
あなたが傷付いているのに、
自分は、
眠たくなれば、ゆっくり休みたいと思い、
あなたが泣いているのに、
自分は、
自分のやりたいことに身を任せている、愚か者でした。

ただ、あなたに自分の欲望と、わがままを、
ぶつけているだけでした。
優しいあなたは、
それを、そっと受け止めていました。
そんなあなたを見て、
自分の愚かさを、よりはっきりと知ることができました。


  明日からではなく(アルバム『うたき』から)
 作詞・作曲 小谷美紗子

僕は教師です 就職先がなく
なりたくもない教師になりました
やる気の無い私とやる気の無い生徒
一緒に感じるものも何一つない

僕が少年でスリ傷を作って
走り回って川に帽子を落としたとき
空気も野菜も水も愛も
あふれて僕と鬼ごっこをしてた

明日からではなく 今日から打ち明けてみよう
みんなと一緒に学校を変えたい

私が友達の悪口を言うときの
顔はどんな顔だったんだろう
ひどい言葉を並べ友達の評をとり
プリクラの数を毎晩数えてた

一瞬の笑いのための
白目をむくような言葉は
電波に乗って黒く焦げながら
自分のところへはね返って来る

明日からではなく今日から心の中にも
make upして悪口はやめます。

うわさに振り回されて真実から遠ざかって
一方的な情報で何を判断しますか

明日からではなく今日から誰かの口には
花が咲く 黄色い花が咲く

僕には役目があります
お客様に次の駅名を知らせること。
けれど毎日の繰り返しに疲れてしまった

明日からではなく今日から僕の口には
花が咲く 向日葵が咲く

上辺だけの関係に淋しさを感じます
この社会は本当にもうどうにもならないのでしょうか

明日からではなく今日からたばこをやめるぞ
こんな感じでやって行けるでしょう

明日からではなく今日からチョコレートをやめるぞ
こんな感じでやって行けるでしょう
  1. 2005/07/07(木) 08:52:24|
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恋は、終わる?

最近購入した小谷美紗子の最新アルバム「adore」。今回のアルバムのテーマは、失恋したあとにその傷から立ち直って、恋をした相手に感謝の気持ちを抱き、そしてまた新しい恋をはじめよう、という想いが込められているようです。ちなみにタイトルの”adore”とは、”愛する、感謝する”という意味があるようです。


なぜ、恋は冷めてしまうのでしょうか。
なぜ、あんなに好きだった気持ちは消えてなくなってしまうのでしょうか。

あなたのことを、知りたかった。
あなたのすべてを、手に入れたかった。
だから、
あなたの好きな、映画を観ました。
あなたの好きな、本を読みました。
あなたの好きな、歌を歌いました。
あなたが好きな、場所へ行きました。
それでも、
あなたに近づくことは、できなかった。
あなたは、雲のようにふわふわと、
自分の周りを漂っていました。
そんなあなたを、手にして掴むことはできませんでした。

あなたを好きになって、ごめんなさい。
冷酷で残酷なこの自分には、
あなたを好きになる資格などなかったのです。
あなたを好きになって、ごめんなさい。
そのために、
あなたを傷つけすぎました。
あなたを苦しめすぎました。

もう、
あなたが苦しむ姿なんて、見たくない。
あなたが傷ついて、涙する姿なんて、見たくない。

あなたを助けたいと思う気持ちは、
あなたにとって、迷惑でしょうか。
どうすれば、
あなたに笑顔が戻る日が来るのでしょうか。

もう、
あなたが苦しむ姿なんて、見たくない。
あなたが傷ついて、涙する姿なんて、見たくない。


  雲のように(アルバム『うたき』から)
 作詞・作曲 小谷美紗子

傷付いたあなたの手、私がその傷を
かわいいTATOOに変えた あなたを守るおまじないよ

あなたはすべてを許してしまって
すべてを見送ってしまって
私があなたの悲しみを
歌い飛ばしてあげるよ

あなたを助けたい
あなたを目指したい
あなたなしでは
立ち上がれない


あなたは雲のように 毎日迷子になる
人々がそんなあなたを 毎日遠ざけてゆく

私はいつかみんなを嫌いになるわ
あなたはあまりにも傷付きすぎた
弱ったあなたを笑う人は
この私が許さない

あなたを助けたい
あなたを目指したい
あなたなしでは
立ち上がれない


Hey Boy この声が聞こえる?
今も昔も呼んでいた
誰かもわからずに
とにかくあなたを探してた

あなたが私を叱ったら
三角座りでうずくまるけど
反省と反省をして素敵な子になれるのよ

あなたを助けたい
あなたを目指したい
あなたなしでは
立ち上がれない
  1. 2005/07/06(水) 22:41:58|
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恋は、終わる?

最近購入した小谷美紗子の最新アルバム「adore」。今回のアルバムのテーマは、失恋したあとにその傷から立ち直って、恋をした相手に感謝の気持ちを抱き、そしてまた新しい恋をはじめよう、という想いが込められているようです。ちなみにタイトルの”adore”とは、”愛する、感謝する”という意味があるようです。


なぜ、恋は冷めてしまうのでしょうか。
なぜ、あんなに好きだった気持ちは消えてなくなってしまうのでしょうか。

二人は、絶対に上手くはいかない関係だと分かっていたから、
あなたを嫌いになるよう、努めました。
あなたを忘れるよう、心に誓いました。
あなたをこれ以上好きになると、
自分だけでなく、あなたをも憎んでしまうような気がして、
怖かったのです。

あなたからの返事を、いつも待っていました。
来ないと分かっていたのに、
それでも、携帯の音が鳴るのを、
いつも待っていました。

自分はあなたをこんなに好きでいるのに、
自分はあなたをいつも見ていたのに、
あなたは、自分には振り向いてはくれませんでした。

うまくいかないとは、初めから分かっていたけど、
あなたを好きでいるのを、やめられませんでした。
おばあちゃんになっても、
あなたのことをまだ好きでいたら、
一体どうしてくれるんですか。

今度もし生まれ変わったら、
また二人で同じ時を過ごせたらいいですね。
そのときは自分も成長して、
今よりもっといい恋ができると思います。


  The Stone
 作詞・作曲 小谷美紗子

あぁ 変わって行く二人をこの目に映して行くのなら
あぁ 二人でギリシャの神殿で石になってしまいたい

また他の宇宙で違う風に会ったら
今度こそ その宇宙ではとびきりの
教会で結婚しましょうよ

もう二人のアルバムには いつからか写真がとぎれたまま
白いもの足りなさそうな 新しいページは黄色にやけて染まって行く

みにくい冷たい秘密を
砂にして流しても
あんなにすごかった二人の気持ちには勝てないの

あぁ 地球上で唯一結ばれないと決まった二人
あぁ 二人の思い出をギリシャの神殿で石にされてしまいたい

また他の宇宙で違う風になったら
今度こそ いつか二人が描いた
教会で結婚しましょうよ

みにくい冷たい秘密を
砂にして流しても
二人が互いを嫌いになる前に別れましょう。
  1. 2005/07/06(水) 09:31:36|
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恋は、終わる?

最近購入した小谷美紗子の最新アルバム「adore」。今回のアルバムのテーマは、失恋したあとにその傷から立ち直って、恋をした相手に感謝の気持ちを抱き、そしてまた新しい恋をはじめよう、という想いが込められているようです。ちなみにタイトルの”adore”とは、”愛する、感謝する”という意味があるようです。


なぜ、恋は冷めてしまうのでしょうか。
なぜ、あんなに好きだった気持ちは消えてなくなってしまうのでしょうか。

あなたは、気づいていましたか。
自分が、あなたに恋をしていたことを。
あなたは、分かっていましたか。
自分が、あなたしか見ていなかったことを。
あなたは、ただ笑って、自分の前を通り過ぎるだけでした。

あなたに、何もしてあげられなくて、ごめんなさい。
あなたの苦しみを、和らげることができなくて、ごめんなさい。
あなたの辛い顔を、ただ、そっと眺めるだけでした。

あなたは、知っていましたか。
自分が、あなたのことで苦しんでいるのを。
あなたにもう二度と会いたくないと思っても、あなたの顔を見ると、自然と笑顔がこぼれました。

あなたに、何もしてあげられなくて、ごめんなさい。
あなたの苦しみを、和らげることができなくて、ごめんなさい。
あなたは、儚い夢でした。
そんなあなたに、もう恋はしないと、誓えたらいい。


  儚い紫陽花
 作詞・作曲 小谷美紗子

I don't know 成す術もなく I don't know 時が走る
ハンドルを握るあなたの手に 雨混じりの風が吹く

サイドミラーに映る 泣いてる街の片隅で
私の恋が咲いていた それは儚い紫陽花

何も知らないあなたの笑顔は 青い花弁
溺れる私から遠く 浮かんでは消える希望
けっして掴めない But I like you. No,I love you.
笑って見送るだけ


I don't know そんなこと訊かないで I don't know そんなの分からない
あなたが何て彼女に プロポーズすれば良いかなんて

何処にでも咲いているのに 気付いてもらえない花
何時かの祭りの後 独りで枯れる

何も知らないあなたの笑顔は 青い花弁
私の心に積もる 雪は幻 儚い希望
車を降りたら 心を傘で隠して
笑って見送るだけ

私の恋が咲いていた それは儚い紫陽花

何も知らないあなたの笑顔は 青い花弁
溺れる私から遠く浮かんでは消える希望
けっして掴めないBut I like you. No, I love you
笑って見送るだけ
  1. 2005/07/06(水) 00:16:55|
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過去と、生きる

幼少のとき、まだ自分が宮城の石巻にいたとき、ものすごく仲の良いアキヒロ君という友達がいました。
それはもう毎日のように彼の家に行っては、ファミコンや人形ごっこなんかをして遊んでいました。
彼から電話がこなければ自分からし、自分がしなければ彼から電話がきました。
でも。
でも自分はそんな彼を羨んでいました。
彼は字が上手で、絵を描くのも上手く、そのうえ家にはおもちゃがたくさんあり、そのうえいい奴でそんな彼を嫌う人などいなかったように思います。
そんな彼を、影でそっと羨んでいたのです。
別の友達が彼の家にいたとき、自分は彼の誘いを断り一緒に遊びませんでした。
彼の一番の友達は、自分しかいないと思っていたのです。
そして秋田への引越しが決まり、彼とはもうそれ以来会っていません。
中学頃まで年賀状のやり取りをしていました。
今頃、アキヒロ君はなにをしているのでしょうか。


小学5年のとき、引っ越してまた別の学校に変わりました。
そのとき、自分と同じ転校生で仲の良かったヤマキ君という友達がいました。
それはもう、毎日のように一緒に学校へ行っていました。
学校でも、いつも一緒にいました。
でも。
でも、自分はそんなヤマキ君を心の中でそっと、変な奴だとか気持ちが悪い奴だと思っていました。
ヤマキ君はたしか、九州から引っ越してきて、周りの人も影でそっとヤマキ君の影口を言っていました。
ヤマキ君と仲が良かったのは、最初の1学期だけで、自分は他に仲の良い友人ができ、それ以来ヤマキ君とは疎遠になりました。
ヤマキ君とは中学まで一緒でしたが、一言も口をきいたことはありません。
ヤマキ君は剣道部の部長をやっていましたが、今は何をしているんでしょうか。


小学6年のとき、自分には遊び友達がいませんでした。
ある日、同じクラスのオノデラ君が家に突然やってきて、遊ぼうと誘ってくれました。
オノデラ君は友達が多く、彼を経由して自分も友達が増えていきました。
それはもう、毎日のようにオノデラ君と他の友達と一緒にスーパーファミコンをして遊んでいました。
正月休みのとき、彼と連絡が取れなくて、一緒に遊べなくてすごく寂しくなったのを覚えています。
中学にあがって、うれしいことに彼と同じクラスになりました。
また、彼を経由して友達が増えました。
でも。
でも、自分はそんな彼を影でそっと疎んでいました。
5月の宿泊研修のとき、テントの中でオノデラ君が寝たのを見計らって、同じテントにいた友達に「オノデラ君のこと、嫌いな人?」と小さい声で呼びかけました。
それ以来、オノデラ君との仲は疎遠になりました。
自分が中学でできた友達は、ほとんど彼に紹介してもらいました。
オノデラ君とは中1以来同じクラスになることはなく、一言も口をきいていません。
高校生のとき、道で偶然オノデラ君とすれ違いました。
茶髪で不良のようになっていました。
オノデラ君は、今何をしているんでしょうか。


高校にあがって、今までの報いがきたのか、仲の良い友人はほとんどいませんでした。
それでも、3年間同じクラスでいつも行動を共にしていた奴がいました。
フジモトです。
常に昼飯は一緒に食べていました。
2人だけ、クラスで浮いていたような気がします。
しかし、フジモトは頭がよく、人当たりの良かった奴なので自分の知らないところでどんどん友達を増やしていきました。
それでも、フジモトは自分を見捨てることなく、自分と行動を共にしてくれました。
自分がいなければ、フジモトはもっと楽しい学生生活を送っていたに違いありません。
フジモトは東北大学に推薦で受かりました。
卒業式の日、クラスの全員が一人づつ教壇に立って今までの思い出を語る中、フジモトは「自分がここまで勉強をがんばれたのは、周りの友達がいてくてたおかげです。」と言いました。
その周りの友達の中に、多分自分は入っていなかったでしょう。
フジモトとは卒業して以来、一度も会っていませんし、会おうとも思いません。
フジモトには、色々ひどいことをしてきたような気がします。
今頃、フジモトは何をしているんでしょうか。



今でも、彼らが夢に出てきます。
そして、自分を苦しめます。
もう自分のしてきた過去なんてどうだっていいのに。

自分は、友達を踏み台にして、蔑んで、今を生きているような気がします。

人間は、同じ過ちを繰り返す。

そんなの、嫌だけど…。


kako.jpg

  1. 2005/07/05(火) 00:54:37|
  2. 戯言|
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恋は、終わる

最近購入した小谷美紗子の最新アルバム「adore」。今回のアルバムのテーマは、失恋したあとにその傷から立ち直って、恋をした相手に感謝の気持ちを抱き、そしてまた新しい恋をはじめよう、という想いが込められているようです。ちなみにタイトルの”adore”とは、”愛する、感謝する”という意味があるようです。

なぜ、恋は冷めてしまうのでしょうか。
なぜ、あんなに好きだった気持ちは消えてなくなってしまうのでしょうか。

そのあとには、あなたを好きであったという事実だけが残ります。
過去の記憶だけが、鮮明に残っています。

なぜ、あなたを好きになってしまったのでしょうか。
あなたの心?体?それともあなたのすべてでしょうか。
きっと、あなたは、自分に欠けていたすべてのものを持っていたのでしょう。
そんな自分にないものをもつあなたに、憧れていたのでしょう。

あなたに追いつこうとした。
必死であなたを追いかけた。

あなたがいてくれて、ありがとう。
人を好きになる気持ちを抱かせてくれて、ありがとう。
暖かな、すべてを許せるような気持ちを抱かせてくれて、ありがとう。
純粋な、人間らしい気持ちを抱かせてくれて、ありがとう。
嫉妬して、残酷な気持ちを持つ自分に気づかせてくれて、ありがとう。
苦しみを、ありがとう。
あなたに出会えた過去に、ありがとう。
自分を、成長させてくれたあなたに、ありがとう。

これからは、あなたの思い出を自分の力にかえて、生きていきます。
 
そんなあなたに贈ることば”adore”


  照れるような光
 作詞・作曲 小谷美紗子

Dear昔の人 あれからどんなことを思いながら
面影朽ちる君のあの跡 歩いていましたか
私は過去を 残さず食べて 今を確かに生きています

答えをずっと求めていた私の冬が
何度も溶けて忘れられて ただの冬になった
あの恋に 別れに試されながら 今日へと登れました

悲しみを 蔑みを うらぎりを ありがとう
私を うたわせて 生かしてくれてありがとう

あんなにきれいで憎かった夢も 君の姿も
いつの間にかTVを観るように人ごとになっていた
敵、見方と壁を作ることなどもう 必要なくなったんだね
時は優しいね


Dear傍にいてくれる人 あなたの前で
女の子らしいスカートに足がすくんでしまうような
慣れていない幸せの形に 私は戸惑っています

照れるような光を 愛しい気持ちをありがとう
あなたが救ってくれた 私の過去にありがとう

私には 幸せが似合わないけれど
あなたには 幸せがとても似合うけれど
そんな二人がまだ一緒にいても良いよね
陽のあたる場所にいてもいいよね

もし添いとげる ゆっくり奏でる時を過ごせたら
私は決して あなたよりも先には死なない
  1. 2005/07/02(土) 01:48:03|
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人非人

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