逃源郷

世界は闇なのか

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『マンダレイ』

20060317004833.jpg



『ダンサーインザダーク』のラース・フォントリアー監督最新作。

前作の『ドックヴィル』同様、極めて政治的な映画。
人間同士の愛情、などといった人間の心の機微を描く部分は一切登場せず、
権力関係だとか、、正義の遂行などという、集団間の力の構図が描かれている。
だから、というわけではないけれど、
観ていて胸くそ悪くなってしまう。
こういう問題は、現実の中だけで十分なもので、映画の中にまで観せられてもたまったもんじゃない。

今回の主人公グレースは、奴隷制度がいまだにはびこる村の人々に対して、民主主義を教え込もうと正義感に燃えている。
そんなグレースの行動を見て、正義を遂行しようとする者は、いついかなる時でも中立的でなければならず、
そして目的を遂行するためには手段を選ばないとする、ある種冷徹な部分がなければいけないのだな、と思った。
また禁欲的で、常に周りにとって善いことは何かを考え、自己利益に走るようなことはしてはならない。
この辺り、グレースは完全なまでに任務を遂行し、後半村にちょっとした平和が訪れようとするが、
そのせいで気が緩んだのか、異性に対する強い性欲が発生し、自己欲と正義心の狭間で揺れ動くグレースの姿は妙にリアリティがあった。
グレースの不完全さが見事に浮き彫りにされていた。
また、お遊戯のように民主主義を教育する場面は、
監督の民主主義に対する皮肉めいた批判が感じられた。


前作同様、村人は愚民ばかりだ。
表面上は”善い人間”を装っているけど、
裏をはがせば、人間悪に満ち満ちているという。
自分の立場が危うくなったら、いかなる権力にもすがりつき、自己保身に走るという愚民。
裏切りは当たり前。
自分の立場さえ保障されれば、それでいいんだ。

村人は、社会が黒人を受け入れる体制が整っていないという理由で、
また自由競争の荒波から逃れるために、
自ら進んで奴隷制度の中に身を置き、与えられた仕事と役割を担いながら生きている。
そこでは個人の自由は保障されていない。
好きな時に飯を食べることも出来なければ、好きな時に映画を観たり、散歩をしたりすることも出来ない。
しかし、衣食住は権力者によって保障され、自分にとって何が必要だとか、いかに生きるべきかについてあれこれ思い悩むことはない。
ただ、権力者の指示によって動いていればそれでいいからだ。

自由という鎖のジレンマは、人間に退廃と空虚感を発生させる。




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  1. 2006/03/17(金) 00:45:27|
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  4. コメント:6

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