逃源郷

世界は闇なのか

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掴みかけた言葉がどこかへ消えた

人との関係性を構築することほど、面倒くさいことはない。

なんというか、そうすることで、相手に対して意識的に働きかけるのがとても面倒くさい。
今まで大学3年間は、自然と人が集まる場所にずっといたので、自分から意識的に働きかける必要はなかったのだが、
この4月からは、そういった自分が定住する場所というものがなくなってしまったので、
新しい関係性を築くにも、またそれまでの関係性を継続させるにも、自分から意図的に働きかけないといけないというのが、とても面倒くさい。
あまり人といるのは好きではないし、独りでいるのが大好きだから、
そうした自分にとって苦手とすることを実行する時に、
自分の中でひとふんばりするというか、ハードルをぐいっと上げて意識的に頑張ろうとしなければならないのが、とても億劫で仕様がない。

今週一週間を振り返ってみると、かなり気が緩んでいたように思う。
そうなると、朝起きるのも億劫になるし、現実に出て行かないでこのままずっと布団の中で寝ていようという気が起こってしまう。
でも、そうしていると、約束事を取り付けていた相手からはメールが来るし、放っておいた現実が後ろからどんどん迫ってくる。

頭で計算して、感情で動いていないような自分がとても嫌になる。
人に会おうという気持ちは、会いたいという気持ちから発生するものではなく、自分の中での生きるモチベーションを上げるためのひとつの契機に過ぎない。
あの人に今会いに行きたいから会いに行く、というものは一切なく、
今この時点で会っていれば、今後の関係性を続けるためにも善い方向付けとなるであろう、と計算して頭で動いている自分がとても嫌だ。

結局のところ、こうした考えを持っているから人を好きになることができないのであろう。

もし、自分の意思とは無関係に、自分のこの身体が動かなくなってしまったら、一体だれが自分の面倒を見るのだろう。
家族には、看病してくれるくらいの恩情を自分が与えていないので、
とても申し訳なくてお願いすることなんかできない。
お金という契約で成り立った、ヘルパーでも雇うしかないのであろうか。

人を好きになるのにも、意識的な不断の努力が必要なのだろうか。
そういうのいらないのに、何故頑張らなくてはならないのだろうか。
将来の自分の身の保護のため、という目的的な理由で、
それをモチベーションとして人を好きになることなんて出来るのだろうか。

掴みかけた言葉が、今頭の中のどこかへ消えた。
世界を言葉ではなく、
身体全体で、感覚として感じたい。


kieta.jpg


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  1. 2006/07/15(土) 04:14:11|
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悲観してはいけない

なんというか、この現実に降り起こる問題に対して、悲観して嘆くばかりではなく、その問題、事実をどうしたら解決できるかを考えて、反省しなければならないのだと、思う。

問題を、楽観的に見過ごして、そのままにしてはいけない。

今やっている、バイトについて。
未だに、うまく波長の合った、善い動きをすることができない。
特に、自分を合わせて現場の人数が3人、という場合が特にそうだ。
人手が少ない分、お客が混んできた時は、いかに手際よく、そして協調して他の人と分担しながら動くのにかかっている。
この、”協調”という部分が、自分にとって最も苦手なのである。
とにかく自分は、人に頼ろうとせずに、自分で出来る範囲の仕事はなんでもかんでも自分一人でやってしまおうとしてしまう。
要領が悪いくせにそうするから、混んできた時にパニックになってしまって、ミスばかりをしてしまい、現場の人に怒鳴られ、その後の関係性が気まずくなってしまうのだ。

だから、まず大事なのは、まずは自分に与えられた場所の仕事をまずはきっちりとこなすこと。
3人で仕事をする時は、自分は洗い場と受付の両方を任されることが多い。
ここで、大事なのは、お客が混んできた時は、洗い場は後回しにすること。
なぜかというと、スーパー銭湯の客の流れというものは不思議なもので、混む時間というのが平日はほぼ8時?9時の間で決まっている。
この時間帯に、休することなくどっとお客が舞い込んでくるのだ。
だから、そういう時になったら、まずは受付を徹底してこなす。
そうしないと、出されたオーダーに狂いが出てしまって、料理を作っている調理場の人にも、そしてまず何よりお客に迷惑をかけてしまう。
調理場の人には、出されていないオーダーを間違って伝えて作らせてしまったり、注文を受けたオーダーを通さずに、お客から「まだ作っていないのか」とクレームがくることが多々ある。
一番、体力的に疲労感が大きく、仕事量が多いのは、やはり調理場なのである。
だから、受付をおろそかにしてしまって、調理場の人に余計な負担をかけさせてはいけないのである。

自分の最大の駄目なところは、一度ミスをして怒鳴られてしまうと、
それが尾を引きずって、いつまでも頭の中で反省して考え込んでしまうところである。
そのせいで、混んでいない時でさえ、初歩的なミスを連発することが多い。
正直、それが相手への信頼感を、一番に失くす。
ミスしなくてもいいところでミスをしてしまい、相手への負担を増やし、信頼感を失くす。
仕事のミスは、コミュニケーションではなくて、仕事で返さなければならないのだ。

あと、一つ思うのは、仕事に関して、同じ現場で働いているもの同士、もっといろいろ話しあうべきなのではないか、ということ。
正直、仕事のやり方に関して、それぞれが言いたいことは山ほどあるに違いない。
こういう時は、ああして欲しい、などと、相手に伝えることができる場があればいいのにな、と思ってしまう。
所詮バイト、と言ってしまえばそれまでなのだが、少ない人数でのシフトで、皆窮屈を感じながら働いているのは、目に見えて分かる。

どうしたら、もっと相手を信頼して、協調して仕事をすることができるだろうか。


問題に対して、それを形而上的なところに置いて、悲観して嘆いてばかりいてはいけない。
現実は、現実としてそこにある。
相手への無用な哀れみはいらない。
間違っていることを、それは間違っていると正すことこそが正しいことであり、現実への対処法のひとつであると、思う。



hikan.jpg


  1. 2006/07/04(火) 01:53:01|
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人非人

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