逃源郷

世界は闇なのか

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自分のした行為の結果や、
現在の自分の状態に対して、
それは全て自分がしてきた行為の帰結であると、
自身に対しての責任を重く受け止めることは大切なことだと思う。
いわゆる自己責任というやつだ。
ただ、
相手の犯した行為や罪に対して、
それも当人の犯したことだから仕方がないのだと、
簡単に自己責任の問題として片付けるのには、どうにも抵抗感が沸いてしまう。
相手の犯した罪に対して、
果たしてその行為を導くのに、
自分が少なからずの影響を与えてはいなかったか、
もしくはその罪を事前に防ぎきることはできなかっただろうかと、
相手の行為に対しても、
やはり自分自身、責任というものを感じなくてはならないと思う。

自分のしてきたことに関しては、重く厳格に責任を自覚しなければならない。
そして、相手の行為には寛容でなければならない。
あれは仕方がなかったとか、それはしょうがないと、
相手の行為の問題を、簡単に割り切ることは避けなければならない。


こういう日は、決まって嫌な夢を見る。
大勢の人間を撃ち殺したり、高い所から突き落としたりするのだけれど、
そうした後に決まってとてつもない罪悪感に苛まれ、
目覚めた後には、胸くそ悪い感じばかりが残ってしまう。
撃たなければならないという動機や使命感のみが自分を突き動かしている。
行為の結果は目に見えて予想できるのにだ。
動機や使命感というのは、つまるところ自分自身に対する利益的感情にすぎない。
損得を重視する理由が、相手の死という結果に勝っている。


自分がどういう人間であるのかが次第に分かってくると、
自分の意見や感情とは決して合い交えない、交差しないであろう人間、もしくは集団に対して、
反発や、住み分けの感情を強く感じてしまう。
コミュニケーションの断絶が発生する。
そしてそうした断絶や、反発心を覚えた自分自身に対して後悔の念が沸き起こる。
相手を拒絶した自分に対して嫌悪する。
相手を拒絶することは、自分を拒絶することにも繋がる。
ならいっそ、人間や集団との関わりを持たずに、独りきりで生きていけばいい。
しかし、それは単に苦しみから逃れているだけで何にも解決はしない。

裏切りや拒絶は、苦しみを生むけれど、
優しさは、苦しみの中から生まれる。


akatuki.jpg


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  1. 2005/11/19(土) 03:30:35|
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