逃源郷

世界は闇なのか

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現実を変えられないのなら、それを耐えるしかない、というのはいささか希望のない言葉だ

寛容と受容という言葉は、似ているようでいてどうやら違った意味にあるらしい。そして寛容という一見すると聞えのいい言葉が、実は差別の意図を内包しているかもしれないのである。

「寛容」…心が寛大で、よく人を受け入れること。過失をとがめだてせず、人を許すこと。
「受容」…受け入れて、取り込むこと。

寛容とは言葉通り、自分とは違う他人という存在をありのままに認めること。しかしそれは裏を返せば、あなたはあなた、私は私、お互い違う存在なのだから、一定の距離を保って友好的な関係でいましょう、という超個人主義に立った考え方ではないか。つまり、自己保身に走った考え方だ。違いを受け入れることで、自分が傷つくことをただ恐れているだけなのだ。では、受容とは?自分とは違う相手の存在や、考え、行動をまるごと理解することなのだろうか。
今日観た『ラストデイズ』という映画の監督、ガス・ヴァン・サントが次のようなことを言っている。

「問題を抱えている人がいるが、誰も彼らを助けることは出来ない。そして、彼らがどこにいて、最後の瞬間に何をしていたのか、誰も知らない。」

そう、他人とは結局そういうものなのだ。人間は自分が思っている以上に他人に目を向けていないし、関心を寄せているわけではないのだ。ただ、自分を世界の中心に据えてならない。相互理解(50/50)に慎重にならなくてはいけない。


「現実を変えられないのなら、それを耐えるしかない」

映画『ブロークバックマウンテン』の原作者が、小説版の末尾に寄せた言葉だ。規範と規律とは、そんなに強固なものなのだろうか。これは、いささか希望のない言葉だ。生はより善い方向へ進んでいくものだという信念と実践が、規範に革命をもたらし、現実を変えていくものだと思うし、そうであると信じたい。


kihan.jpg


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  1. 2006/04/02(日) 02:08:55|
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