逃源郷

世界は闇なのか

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現前の様相

常に、何かしらの問題意識を保ち続けなくてはならない。

ある特定の部分で、一定以上、もしくは一定未満、
自分の中で、頑張ることができたというちょっとした満足感を味わうと、
もうそこから問題意識を抱かずに、一歩身を引いてしまうこの癖をなんとかしなくてはいけない。
今やっているバイトにしてもそうで、洗い場を今日は一応自分なりにこなすことはできたので、あとはこの調子でやっていけば大丈夫だろうと、
精神がナアナアになるというか、もうそれ以上新しい問題を見つけて解決していこうという気にならなくなってしまうのだ。
しかも、ここで重要なのは、やることをこなすことが出来たというのは、それはあくまで自分のみの主観からにすぎないことで、
他の人の目からすれば、実はまだまだ問題点はあるのかもしれないということだ。

現状に満足してはいけない。
常に、今この現前で何が問題となっているのかを、考えていかなくてはならない。

何というか、本当にものすごく楽観的なのかもしれない。
本当は、少し先の自分の未来に対して大きな不安と危機感を覚えなくてはならないのに、
その未来に予測出来るであろう不安を取り除くためにすべきことを今まったくしていない。
とりあえず、ちょっと先の未来、明日とか明後日とか、
その範囲で何をしよう、何をしていこうと考えているだけで、
しかも、その選択も自分の長い範囲で考えた未来にとって果たして正しい選択になりえているのかも、全く見当がつかない。
こういうやり方で今までずっとやってきたけれど、果たしてこれでこの先生き長らえることはできるのだろうか。



「自己は、過去の経験的な自己の中からしか見出すことはできないのかもしれない」


もう、自分とは誰かといった問題は、さほど重要でなくなってきているのかもしれない。
自分が誰であるかというのは、過去に行ってきた自分の経験からしか判断することができないのかもしれない。
過去の経験的自己が、他人との関係性の網において、どのような様相をなしていたかを客観視することが、重要なのかもしれない。


アイデンティティ探しの時代は、もう終わりが近づいているのかもしれない。


gennzen.jpg


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  1. 2006/05/18(木) 02:54:25|
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