逃源郷

世界は闇なのか

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しょうもない、卑小な自己なんていらない

大切な、何かを見失っている。

常に立場性というものを念頭に置いていなければならないのに、
どうしても自己防衛に走ったり、自分内世界に閉じこもってしまう。

自分が何をしたいかではなく、相手が何をしたいか、何を欲しているかに慎重でいなければいけない。


自分の物語を紡ぎだすことは、大事なことかもしれない。
理想を打ち立て、現実でそれを実践しようとする試みは非常に意義のあることでもあると思う。
しかし、そこで自分だけが物語の主人公であり他の全ては脇役であると、自分以外の物全てをコントロールしようとしてはいけない気がする。
何故なら、他の人たち全ても、おそらく当人が物語の主人公であると認識しているに違いないからである。

ただ、物語を紡ぎだすにはどうしても他人の力がいる。
自分一人でそれを作り出すのは到底無理な話で、どうしても他人を巻き込むことになってしまう。
この際、その巻き込み方が非常に重要な問題となる。

例えば、相手にどうしてもやって欲しいことがあったとする。
それは自分一人の手ではどうにも負わず、分担して労力を分け隔てなくするためでもある。
この際そのやって欲しいことに対して、半ば強制的に無理強いをしてはいけない気がする。
これこそ、自分だけが物語の主人公で相手をコントロールしようとする気の表れであり、またそれは相手の物語の進行を妨げることにもつながる。
そうすることで、相手との隔たりも生じてしまう。


「情報」として、自分の問題意識を出来るだけ相手に伝えていかなくてはならない。
今自分がどういう問題を抱えていて、それに対する現実的処方にどのようなものが必要であるかを、「情報」として相手に過分なく伝達していかなくてはならない。
ここでは、自分がいかに問題に対して意識が強く働いているかが重要になる。
問題に対して軽薄な気持ちでいると、言葉の伝達の力も弱くなり、相手に強く働きかけることも出来なくなる。
そして「情報」として問題を伝達した後、相手がその問題に対してどのようにアクションを起こしてくれるかを待つしかないのかもしれない。
相手が当人の物語の中で、問題に対してどのように関わるか意識するのを待つしかないのだ。
相手の物語を強制的に自分の手に染めようとするのは禁物であり、相手が問題への能動的行動を起こしてくるのを期待して待つしかないのである。

それぞれが持つ目的志向というのはバラバラで、その矢印の向きが一致するのは極めて稀なことであると思う。
なので、物語を構築する際、その矢印を少しでも自分以外のものへ向けてくれるよう、働きかけを不断にするしかないのかもしれない。




最近、「やりたい」ことも見つからず、「やらなければならないこと」からも逃げてばかりいる。
あるのはただ現実だけで、それに対して自分に何ができるか考えを巡らし実行するだけなのに。


しょうもない、卑小な自己なんていらない。


hisyou.jpg


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  1. 2006/11/16(木) 03:21:05|
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