逃源郷

世界は闇なのか

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モンスター

 03年度アカデミー賞主演女優賞他、世界の映画祭での主演女優賞を総なめにした作品。ちなみにこの感想は、去年の10月の自筆の日記から抜粋したものですのであしからず。
 やられてしまった。最近自分が深く考えつめていたことと、重なったことも一つの要因ではあるが。やられてしまった。映画館で観たあと、泣いてしまった。
 この世の中には、”普通”とはいえない環境に生まれ、社会の辺境で生きざるを得ない、それしか選択をとることができない人間がどれほどいるのか。闇の世界で生きることしかできない人間が一体どれほどいるのか。最近観た「インディス・ワールド」もしかり。難民キャンプでしか生活することのできない人たち。たどり着いた希望であるとみなされていた目的地ででさえも、さげずまされ、安い賃金で社会の底辺、片隅で生きなければならない運命。しかしそんな闇の世界にも、希望や光、安らぎは存在する。それがモンスターでのリーにとっては、彼女との愛だったのだろう。映画として客観的に観ると、その二人の描き方はやはり浅い。途中リーの彼女への愛、献身から、リー自身の苦しい生い立ちと、人を殺さざるを得ない状況にいること、”何故人を殺してはいけないのか”という永久不変の倫理への問いかけへとぶれる。そこがまだ映画として、いや脚本として不完全だと思うし。カメラワークもあれ?何この違和感?と思わせる部分が多々あったことは否定できない。
 とりあえず前半はリーに苛立ちを感じていた。ただ、教養が無いだけの堕落した人間なんだと。会社で面接するくだりで特にそう感じた。デスクワークがどうとか。それは普通にまじめに社会という枠組みの中で懸命に生きている人間たちへの挑戦状とも読み取れる。おそらくリーがいかに”社会”という場所からはみ出た、遠い辺境の場所で生きているかということをアピールしたかったのだろうが。めんせつだと、それがちょっと弱い気がした。
 ”普通に生きたい”というメッセージ。世の中何故かくもこう、二項対立で仕組みができているのだろうか。善と悪、正しさと悪さ、罪と罰、出来不出来、金持ちと貧者。そして社会でまっとうに生きようとした彼女と、そんな社会に適合できずに、其の社会の法によって裁かれ死んでいったリー。社会に適合できずに、社会に反発するものには死しかないのか。そういう人間を排除しようとする社会。ただ、その普通で活きなければならない社会を責める事は出来ないと思う。そこにも苦しみはあると思うから。幸せとか愛は、場所や状況いかんにかかわらず、必ずどこにでも存在すると思う。そこに人間がいる限り。苦しみも悲しみも喜びも、人間そのものが感じることの出来るものだと思うから。

 
20050510012636.jpg

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  1. 2005/05/10(火) 01:24:51|
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