逃源郷

世界は闇なのか

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

映画を観ること

 自分にとって映画とは何だろうって考える。それは、ある意味もう生活の一部であり、無くてはならない物になっている。
 東京へ映画を観に行き、映画を観るためだけに渋谷や新宿に行くことすらある。行きの電車の中では決まって新聞を読み、着いたら即映画館へ。コンビニで買ったジュースとチョコレート(アルフォートの安いやつやアーモンドチョコレート)を手に、本編までの予告が上映している間にそれを頬張る。席は最近は決まって前から3列目辺りを。巨大なスクリーンが目の前に広がり、映画が始まる。これから自分にこの映画はどんな興奮と感動を味わせてくれるのかと、期待に胸膨らむ。
 映画の世界に浸る。心地よい時間。世界を自分だけが独占しているようだ。その、映画の世界を。
 観終わったら、プログラムを買い、時にはサントラやポスターも。映画館の中に張られている映評を読み、他の映画のパンフレットを手にしてその場を去る。帰りの電車の中で、プログラムを読みながら観た映画に関して自分なりに思考をめぐらしてみる。
 こうやって、自分の世界は広がる。自分のもつ世界は、ぜったいに自分ひとりの力だけでは広がることは無い。例えば人によって、その手段は音楽だったり、本だったり、演劇だったりする。自分のそれは、断然映画だ。映画を観て、愛を考え、戦争を考え、社会を考える。映画によって、自分が支えられている。自分は自分ひとりだけから構成されているわけではない。それは自分が出会った人であったり、出会った友人であったり、そして映画であったり、つまり自分以外の全ての世界によって、自分という人間は支えられているのである。
 自分はこれからも映画を観続けるだろう。幼少の頃観た「ゴースト・ニューヨークの幻」以来、まさか自分がここまで映画に埋没するとは思わなかった。
 世界を知る手がかり、世界を考える手がかり。それが自分にとっての映画という存在なのだ。


eiga.jpg

スポンサーサイト
  1. 2005/05/17(火) 01:23:14|
  2. 戯言|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
<<髪結いの亭主 | ホーム | 海を飛ぶ夢>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tougen.blog8.fc2.com/tb.php/34-5437348c

人非人

08 | 2017/09 | 10
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

天気予報

お気に入りバナー

Search

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。