逃源郷

世界は闇なのか

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ワンダフルライフ

 「誰も知らない」、「ディスタンス」の自分が大好きな是枝裕和監督の長編第2作目。尚、この感想は去年の6月の自筆の日記からの抜粋なので、あしからず。
 これまたいい映画にめぐり合ってしまった。こう、立て続けにいい作品並ぶと、かえって後が怖くなる。
 と、ワンダフルライフ。まさに、”人間の生の素晴らしさ”を、真摯に描いた美しい作品。前半のあまりにもリアルな役者の自然体からなるインタビュー。そして、そこで繰り広げられる使者たちの生のエピソード。それらを聞いているうちに、実際に自分も彼らの生を経験したかのような錯覚に陥ってしまう。それほどリアル。おそれく、役名と本人名一緒だと思う。伊勢谷しかり。そして、そのあまりにもリアルすぎる死者たちの生が余計に、最後の別れを痛いほど悲しみに満ちたものとして感じさせる。人間の死。存在が消えることが、これほどまでに悲哀に満ちたものだということを痛感させてくれる。その別れの日。建物の外には雪。静かに降り注ぐ雪。そして、体育館の中からかすかにこぼれる管楽の音。トランペットやカスタネットの音。泣きそうになった。凄まじいほどの郷愁。自分が昔経験した風景。別れの日は決まって寒く、雪が降っていたような気がする。
 そして、キーワードとなる小田エリカの存在。「これ以上人から存在を忘れられるのは怖い」。好きな相手にさえ、存在を忘れられてしまう。しかし、自分はその好きな人の存在を胸に抱き続け、これからも生きていく。自分もいつか他人の心に残る存在になることを願いながら、生きていく。泣きそうになった。自分の存在を確認できるのは、他者との関係においてだけなのかな。生きた証など存在しないのではないか。他人の記憶の中でいき続けること。それが存在の証。生きた証。
 最後に異端児伊勢谷の存在感の強さ。みなが過去の経験の中から死後に抱くことのできる記憶を探す中で、彼は未来や希望、夢を見据える。過去に縛られずに、未来を見据えよう。若者のあるべき姿なのかな。ラスト、その伊勢谷がこれから一波乱起こすのかという想像を喚起させて映画は終わる。小田エリカの成長。始まり、そして終わり、また始まる。人生は続いていく。
 
 なお、この「ワンダフルライフ」は去年自分が観た、劇場とレンタルをあわせた、映画の中で「モンスター」、「エレファント」に続き2004年度ベスト3に入る作品です。これを、映画館のスクリーンで是非観てみたかった。ちなみに、この映画をきっかけに映画の見方が変化したような気がする。映画が意図しているメッセージを自分なりに解釈して、考えられるようになったような。さらには、その思考のあとを文字にして言語化するという、映画を観たあとの作業もこの映画を観てからできたような。今でこそ、当たり前のことになっているけど。”遠足は家に着くまでが遠足ですよ”と言うように、映画を観るという行為も映画を観たあと、あれこれ思索して感想を書き終えるまでが、映画を観るという行為の流れのうちの一つなのかもしれない。


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  1. 2005/06/02(木) 23:58:31|
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