逃源郷

世界は闇なのか

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光の街

*(パレスチナ問題について書いています。興味のない方は退屈だから読まないほうがいいかも…)

 今日、法政大学で開かれた<暴力の連鎖>を超えて?<自爆テロ>とイスラム報道という講演会を聞きに、飯田橋へ行って来た。朝日新聞の紙面で開催の告知がされたらしく、会場には一般の方々が多数いたように思われる。講演会という名目となってはいるものの、何のことはない、中身はちょっと長い大学の講義のようなものだった。それでも京都大学からいらした岡真理教授の話は興味深く、わざわざ遠方まで赴いて聞きに行った意義はあったと思う。
 話は、現在のパレスチナ問題から始まり、日本のマスメディアがその事実を正しく伝えていないという盲点を厳しく突くものだった。これまでパレスチナ問題に無知に等しかったが、今日を機にいくらかの知識を得ることが出来たと思う。
 簡単にパレスチナ問題を説明すると、アラブにはイスラエルというユダヤ人国家が1948年に成立し、それ以来イスラエル国家内でアラブ人などのユダヤ人以外の民族排除が行われてきた。行き場を失くしたイスラム教徒であるアラブ人は、ガザやヨルダン川西岸などに難民として追いやられ、以来50年以上もイスラエルによる占領を受けて、パレスチナでの貧しい生活を強いられているというのだ。民族浄化やお互いの領地を奪い合って血で血を争う抗争が続けられている。これがいわゆるパレスチナ問題だ。ここで、岡教授が問題視しているのは、パレスチナ人によるイスラエル人へのテロ攻撃とそれに対するイスラエルの報復攻撃についてだ。こういう書き方をすると、あたかもパレスチナのテロ攻撃がイスラム過激派による残虐な行為で、それに屈しない形でイスラエルが”正義”という名の報復を行っているように思える。しかし、何故パレスチナによる自爆テロが起きるかというと、それはイスラエルの厳しい占領に対して抵抗するためなのだ。イスラエルは民族浄化、いわゆるホロコーストによってユダヤ人以外の民族、特にアラブ人を一方的に虐殺している。それに対する抵抗と反逆が、テロ行為として形に現れているに過ぎないのだ。イスラエルのそうした一方的な民族虐殺も、同じくテロ行為といえるのではないのか…。
 岡教授はここで、日本のメディア、具体的に朝日新聞のパレスチナ人の女性弁護士自爆テロ事件に関する記事を例にとって、それがこうした占領の事実を隠蔽していると指摘している。その記事に、イスラエルの占領に対する言及はなされていない。自爆テロが行われたのは、イスラム過激派によるパレスチナの反逆であって、テロの原因をそれを正当化するイスラム教の存在だとしている。
 なぜ、日本のメディアがこのようにイスラエルに肩入れするのかというと、それは日本と同盟を結んでいるアメリカがイスラエルを支援しているからである。アメリカと友好を結んでる以上、アメリカを怒らすわけにはいかない。だから、イスラエル占領の事実に対する糾弾を避けてしまうのだ。
 イスラム過激派によるテロが行われるのは、こうした占領という民族排除の事実がある。それをあたかも、テロ=悪と単純な図式に当てはめている日本のメディアを岡教授は厳しく非難していた。法政大学から帰宅して、フジテレビの夜のニュース番組を見ていたら、早速先日のイギリステロ事件を引き合いに出して、「テロなんか怖くない」という題目で特集を組んでいた。テロ犠牲者への同情を買うのはいいとして、何故テロが起きてしまったのかという事実を全く伝えていなかった。フジテレビはどちらかというと右傾だからしょうがないにしても、中道であるはずの朝日新聞までが事実を真に伝えていないとはどういうことなんだろう。それにはアメリカとの関係や、視聴者のクレーム、それによる利益の低下などの問題があるにせよ、メディアの影響力が強いことを伝える側はもっと認識するべきだと思う。
 岡教授はしかし、決してパレスチナ人のテロ行為を正当化しようとするわけではなく、パレスチナとイスラエルが共に調和して生きていく、共生の場所を築く必要があると訴えていた。この調和のためにはアラブ諸国の力でけではなく、アメリカなどの先進諸国、つまるところ日本にもその調和を担う責任はあるというのだ。
 排除を見過ごさず、他者の苦しみを少しでも和らげようとする意識。まずは身近なところから、とは言うが今の自分には説得力のある現実味を帯びた行動は起こせていない。ただ、事実を知り、それを伝える。ただ、それだけだ。
 
 
 ちなみに法政大学のタワー屋上から望む東京の夜景は素晴らしく綺麗だった。夜景は綺麗なのに、街を歩くと異臭と人ごみ。これが現実なのかもしれない。マクロな視点で見ると綺麗で偽りの無いように見える世界は実は、その中に矛盾と闇を抱えている。
 飯田橋駅近くにある神楽坂は、お祭りがあったらしく提燈が色鮮やかに飾られていた。その坂の上を、いくつもゆっくりと行き交うタクシーの群れと、酔払って幸せそうな人々。

 ここで小谷美紗子の歌詞「この社会は本当にもうどうにもならないのでしょうか」を借りて、幕を閉じようと思います。


hikari2.jpg

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  1. 2005/07/14(木) 04:08:06|
  2. 政治・社会・思索(考)|
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