逃源郷

世界は闇なのか

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ヴェラ・ドレイク

 04年度ヴェネチア国際映画祭で、金獅子賞と主演女優賞を受賞した「秘密と嘘」「人生は時々、晴れ」のマイク・リー監督最新作。
 「バットエデュケーション」に続いて今年観たかったこの映画を、やっと観ることができた。上映会場のテアトル銀座の客層は、やや年配の方々が多かったような気がする。
vera4.jpg内容は、中絶問題の是非を問うものではなく、家族がそれを犯したヴェラをいかにして受け入れるかという家族愛を描いている。とにかく、この監督の映画は役者の演技が上手い、というより登場人物が実際にこの世界にいるんじゃあないかという錯覚を起こさせる。マイク・リーの演出方法は独特で、俳優に自分が演じる役柄以外のことは知らせずに、脚本なしのリハーサルで即興劇を行うというものだ。そこで俳優達は、登場人物の役柄における徹底したリサーチを行い、その人物の生き方や仕草等を研究した末に本番に臨むのだという。つまり、役柄を”演じる”のではなく、役柄として”生きる”ことを必要とされるのだ。だからだろう。これほどまでのリアリティを感じるのは。こうした”自分以外の他者”として生きる経験を得られるのは、役者という仕事以外にないのではと思う。役柄を生き、自己の主観性を排すことで、今まで見えなかった新しい自己というものもその作業の中で発見できるかもしれない。

vera3.jpgあともう一つ、中絶行為が発覚してからの拘置所と法廷での後半シーン。ヴェラはただただ涙を流し、悲痛に満ちた表情をしている。正直、ここはヴェラに対する同情を引きすぎじゃないかなあと思った。ヴェラが一方的に断罪されるところは、「ダンサーインザダーク」を思い起こさせて、「ヴェラ、かわいそう!」と叫びたくなった。あと何故ヴェラが法を犯してまで中絶行為を行うのか、その動機が全く語られていなかったので、多少の物足りなさを感じてしまった。もう少し、家族の問題とかヴェラの人物像を掘り下げて欲しかったなあ。
 ちなみに最近こういう”法・倫理”と”優しさ・愛情”の間で揺れるジレンマをテーマにした映画が多い気がする。「海を飛ぶ夢」「ミリオンダラーベイビー」では”尊厳死と愛”、「やさしくキスをして」では”宗教倫理と愛”が語られていたし。しかもどの映画も(「ミリオンダラー?」は微妙だけど)、どちらか一方に肩入れすることなく、中立的立場を取っているのが特徴である気がする。それは、善/悪の単純な二項対立にとらわれない、問題の複雑さと価値観の多様性を示唆してくれる。勿論この映画も、中絶に対しての是非は問うていない。。

vera5.jpg最後にこの映画は、身近な人間、例えば家族や友人が犯した罪を受け入れて赦すことが出来るかという問いも含んでいると思う。自分の主観性を排さない限り、自分以外の存在を受け入れるのはなかなか難しいことかもしれない。そもそも、相容れない存在を許容するとはどういうことなのでしょう。映画は、家族がヴェラの帰宅をただひたすら”待つ”食卓のシーンで幕を閉じる。その行為の果てに、ヴェラ一家は再び平穏な日常を取り戻すことは出来るのでしょうか………?

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  1. 2005/07/18(月) 02:12:43|
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