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逃源郷

世界は闇なのか

『ラスト・デイズ』?周縁でいることの不確かさ

グランジを代表するロックバンド、ニルヴァーナのカート・コバーン。彼が自殺に至るまでの最後の2日間に思いを馳せて作られた、詩的で美しい映像作品。監督は『ジェリー』、『エレファント』のガス・ヴァン・サント。

前作の『ジェリー』、『エレファント』同様、映画は状況的な説明を一切省いている。人物の行動を淡々と追ったドキュメントタッチの映画だ。しかも今回は『エレファント』とは違い、カート・コバーン一人の行動にのみ焦点が当てられているので、正直映画は退屈冗長な部分が多かった。

まず、主人公を取り巻く連中の、主人公との関係性が今いち掴みづらい。主人公が住む家には、数人の若者が出入りしているのだが、それも何故そうしているのかが分からない。主人公が常に孤独と絶望感に駆られているのは容易に判断できる。しかし、周りとの関係性が掴みきれなかった分、主人公が何故自殺をしたのか、それが最後まで分からなく、うまく伝わらなかったのが残念だった。

ただ、一つ凄いのが、主人公の絶望感のその表現の仕方。主人公は薄汚れたシャツを着て、ぶつぶつ独り言を言いながらいかにも病的な歩き方をしている。カメラは、薄暗い森の中を歩くそんな主人公の後姿をただひたすら追う。もうそれだけで、主人公がいかに荒んでいて、絶望に身を寄せているのかが伝わってくるのだ。それと、誰もいなくなった部屋で、一人「Deth to Birth」と熱唱する姿には、鬼気迫るものがあった。


<周縁でいることの不確かさ>
以下、カート・コバーンの伝記「UNDERBRIDGE」内の、「カートの自殺について」より抜粋。

カート・コバーンは……彼は権威というもの、保守的な大人、企業、産業的なものに対して喧嘩を売りその信条は売れてからも変わることのなかった。しかし………売れるに従いメインストリームへと押し上げられてしまった、若者の代弁者となってしまった…………自分の歌がヒットするにつれ……社会の大きなうねり、流れに飲み込まれつつあるという現状、自分たちがロック産業の一味いや中心的存在になってしまっているという現状と今までの自分がもっていたポリシーとの矛盾が生じ始めてきた。敵視してきたものの中に自分が入ってしまってるということ、ロック産業、企業に染まるまいと頑なに自分を貫き、妥協を拒んで生きてきたために、信念と、ロック産業で食べていかなくてはいけないという現実に折り合いをつけることができず心の中でうまく処理できなくなり、自己不信、アイデンティティの崩壊、そしてあらゆるものに情熱を感じなくなってしまった のではなかろうか。


カート・コバーンは、中心でいること、すなわち大多数の中に自分が混じってしまったという自己矛盾から、自殺の道を択んでしまったようだ。
周縁でいること。周縁でいることは、自己のアイデンティティの拠り所につながることかもしれない。自分が他とは違う性質を持っていることで、自己の安定をはかることが出来る。ただ、人とは違うことで、コミュニケーションの断絶も生じてしまう。そこで感じる違和感と疎外感は、苦しみ以外のなにものでもない。
このアンビバレンスといかに付き合っていくか。周縁でいることの不確かさは、まさにここにあると思う。周縁にいることで自己の安定ははかれるが、他者と折り合えないことで感じる疎外感、中心に行こうとすれば行くほど沸き起こる自己矛盾と違和感は、切っても切り離せない。

共通感覚を身に付けて、少しでも周りと同じ土俵に立たなくてはならない。中心と周縁のすべてを平等に貫いているはずの、線のようなもの。誰しもが持っているはずの共通感覚、人倫、規律。これに少しでも追いついていかなくてはならないし、これを身に付けなくてはならない。
自分だけが違うという意識は、いずれ自分の首も苦しめてしまう。自分の異質性を認めた上で、他人との同質性も認めなければならない。


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  1. 2006/04/07(金) 05:54:40|
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『ブロークバックマウンテン』

今年度アカデミー賞で大方の予想を裏切り、オスカー作品賞を逃してしまった作品。監督は、『いつか晴れた日に』のアン・リー。
同性間の恋愛劇という、アメリカ映画には珍しい題材を扱っているこの作品。2人の男性の関係を、その周囲の人間模様も絡めておよそ20年に渡って描いている。

羊の放牧管理の仕事を通して生活を共にすることとなったイニスとジャック。厳しいキャンプ生活の中で助け合っていくうちに、芽生える2人の友情。それはやがて固い絆へと変わっていくのだが、この辺り2人の関係性が緊密になる動機付けが今イチ弱い気がした。イニスが異性愛者(いや、見方によっては両性愛者、もしくは潜在的同性愛者)で、ジャックが真性の同性愛者であることは容易に判別できるのだが、なぜ異性愛者であるはずのイニスが、ジャックに心を許したのかが到底理解できない。だから、2人がテントの中でいきなりSEXを始めたのには、あまりに唐突過ぎて違和感というか疑問符が沸いてしまった。まして同性愛という言葉自体が世に浸透していないだろう保守的な時代に、何故イニスはアナルセックスの仕方を知っていたのだろう。こうした違和感から、2人の関係性に感情移入出来ないまま、物語が進んでいったのがとても残念だった。

中盤は、お互いの家族関係が交互に描かれる。この辺り、2人の関係性に同情が向くように作られているようでならなかった。2人は家庭の中で抑圧されているのだ(特にジャックが)。しかし見方を変えて妻側の視点に立ってみると、男性2人ばかりを擁護するわけにもいかなくなる。妻は、夫に存在をないがしろにされているからだ。妻からしてみれば、イニスとジャックの関係はただ家族をないがしろにして、自己の安息に身を委ねた現実逃避にしか写らないだろう。イニスの妻が、夫の帰りを子供たちと待つシーンは、心苦しいものがあった。

生きることは、戦うことであるといわれる。2人にとって、家庭は必ずしも安息できる場所ではなかったのかもしれない。男性は家庭を持って、家族を養わなければならないという、強い倫理規範に縛られていた保守的な時代。それに相反する2人は、ブロークバックマウンテンという理想郷で一時の至福を保つしかなかったのだろうか。

また、家族を養わなければならない社会的使命感と、個の自己実現との間で揺れ動くイニスの姿も見逃せない。ジャックはどちらかというと、家族の関係性が希薄なせいか、自らが同性愛者であることにオープンである。つまり、個の自己実現に重きを置いている。どちらを大事にすべきか揺れ動いた末、結局家族とジャックの両方ともを失ってしまうイニスの不器用な生き方は、観ていて心苦しいものがあった。

つまるところ、この映画は単純なありふれたラブストーリーなのだと思う。2人の間に立ちふさがる障壁が、これまであったような人種や階級とは違い、それが同性同士であるということだけで、ようは単純なラブストーリーなのだと思う。

またこの映画は、『ミリオンダラーベイビー』や『海を飛ぶ夢』が尊厳死の是非を問うたように、同性愛は倫理規範として認められるかを投げかけた作品であるとも思える(監督にそういった意図はあまりないようだが)。イギリスでは、同性婚を認める法律ができた。映画は倫理に革命をもたらす力があると、自分は信じている。この映画によって、同性愛者(いやすべてのセクシャルマイノリティーズ・LGBTI)達への差別や偏見がなくなることを、切に願うばかりである。


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  1. 2006/04/01(土) 06:06:04|
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『アメリカ、家族のいる風景』

『パリ、テキサス』の監督ヴィム・ベンダースと脚本サム・シェパードが20年ぶりにコンビを組んだ最新作。

前作『パリ、テキサス』がとても良かっただけに、あまり期待しないで観ようと思っていたが、案の定蓋を開けてみたら予想通り面白くなかった。

テーマや設定は前回とほぼ同じ。落ちぶれたやさぐれ中年おじさんが、長い間置き去りにしていた家族との関係性を取り戻そうとする話。

まず何より、主人公のおじさんにまったく魅力がない。前回の最大の良さは、無口で不器用なおじさんが最後の最後で心情吐露をして、男の美学を残して家族の元を去って行くといったところにあったのだが、今回はそういう男の美学というか”粋”というものを感じさせてくれない。主人公は最初から最後まで逃げ腰なままで終わってしまっていて、駄目な中にある茶目っ気というものが感じられない。それに、酒と女性に夢中なやさぐれ中年おっさんを演じているという点では、明らかに『ロストイントランスレーション』のビル・マーレイの魅力には劣っている。やはりそういうキャラには、駄目なんだけど仕方なくどこか許せてしまうといった魅力が欲しい。

それと前回の映画の最大の良さは、多くを語らないところにあったのに、今回は逆に多くを語りすぎている。演出も過剰で、そうハリウッド映画のようで仕方がない。
監督はヨーロッパ出身のアメリカ大好き人間のようだ。そのせいか、どうもアメリカ描写が浮ついていて地についていない印象を受けた。広大な砂漠、カウボーイ、ドラッグ、ロック、場末のバー……、どの点をとってもこの前観た『マンダレイ』とは打って変わって、表面的な良い部分しか扱っていない。時折画面に映る、アメリカ国旗が風にはためいている画も、正直あざといなあという印象を受けた。

またこの映画には、主人公とは逆に芯の通ったしっかりとした女性が3人、母・妻・娘と登場する。ある映画評に、”男性は女性に支えてもらわないと生きていけない”と書いていたが、女性って果たしてそんなに都合のいい存在なのだろうか。自分は、男性は身勝手でわがままで甘えん坊、女性は気丈でしっかりしているという、性によってそういった線引きをするのはあまり好きではないし、女性だってわがままを言ったり、他人に甘えたくなるときだってあるはずだ。自分は身体的に男性の形態をしているので、女性の立場にたって物事を考えることが出来ないのが残念だが(いや、自分以外の人間の立場を考えるのに、性別は関係ないのかもしれないが)。

人間(特に男性)は、いずれ母親という母体のもとへ帰って(還って)いくという。自分独りでは何も出来ずどうしようもなくなった時に、最後の助け綱として母親の元へ帰って(還って)いくようなことだけは、できるだけさけたいな、と思った。


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  1. 2006/03/30(木) 00:05:33|
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『マンダレイ』

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『ダンサーインザダーク』のラース・フォントリアー監督最新作。

前作の『ドックヴィル』同様、極めて政治的な映画。
人間同士の愛情、などといった人間の心の機微を描く部分は一切登場せず、
権力関係だとか、、正義の遂行などという、集団間の力の構図が描かれている。
だから、というわけではないけれど、
観ていて胸くそ悪くなってしまう。
こういう問題は、現実の中だけで十分なもので、映画の中にまで観せられてもたまったもんじゃない。

今回の主人公グレースは、奴隷制度がいまだにはびこる村の人々に対して、民主主義を教え込もうと正義感に燃えている。
そんなグレースの行動を見て、正義を遂行しようとする者は、いついかなる時でも中立的でなければならず、
そして目的を遂行するためには手段を選ばないとする、ある種冷徹な部分がなければいけないのだな、と思った。
また禁欲的で、常に周りにとって善いことは何かを考え、自己利益に走るようなことはしてはならない。
この辺り、グレースは完全なまでに任務を遂行し、後半村にちょっとした平和が訪れようとするが、
そのせいで気が緩んだのか、異性に対する強い性欲が発生し、自己欲と正義心の狭間で揺れ動くグレースの姿は妙にリアリティがあった。
グレースの不完全さが見事に浮き彫りにされていた。
また、お遊戯のように民主主義を教育する場面は、
監督の民主主義に対する皮肉めいた批判が感じられた。


前作同様、村人は愚民ばかりだ。
表面上は”善い人間”を装っているけど、
裏をはがせば、人間悪に満ち満ちているという。
自分の立場が危うくなったら、いかなる権力にもすがりつき、自己保身に走るという愚民。
裏切りは当たり前。
自分の立場さえ保障されれば、それでいいんだ。

村人は、社会が黒人を受け入れる体制が整っていないという理由で、
また自由競争の荒波から逃れるために、
自ら進んで奴隷制度の中に身を置き、与えられた仕事と役割を担いながら生きている。
そこでは個人の自由は保障されていない。
好きな時に飯を食べることも出来なければ、好きな時に映画を観たり、散歩をしたりすることも出来ない。
しかし、衣食住は権力者によって保障され、自分にとって何が必要だとか、いかに生きるべきかについてあれこれ思い悩むことはない。
ただ、権力者の指示によって動いていればそれでいいからだ。

自由という鎖のジレンマは、人間に退廃と空虚感を発生させる。




  1. 2006/03/17(金) 00:45:27|
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『秘密のかけら』

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『スイートヒアアフター』のアトム・エゴヤン監督最新作。

一級品のサスペンス。


あらすじ
1957年、花形エンタテイナーのラニー・モリスとヴィンス・コリンズの二人組は、チャリティのテレソン番組でホストを任されるほど人気の絶頂にあった。ところが、ホテルで起きた変死事件に巻き込まれてコンビの解消を余儀なくされる。事件は迷宮入りするが、15年後、事の真相を明らかにしようと野心に満ちた若きジャーナリスト、カレン・オコナーがラニーとヴィンスに近づく。少女時代のカレンにとって二人は特別な存在だったが…。



真実と虚構と、現実と過去の映像が入りに入り乱れて、独特の世界観を生み出している。

特に、過去の50年代の映像が良い。
光がほんわかしていると言うか、恍惚感があり、とても艶やかだ。

各所に幻想的なシーンが散りばめられている。(女性記者とアリスという不思議な少女との艶めかしいシーンなんか特に)

最後の最後で、真実が明らかにされるところなんて、『スイートヒアアフター』そっくり。

事件の謎を解いていくというより、事件の当事者たちの人間の内面の謎を掘り下げていくという、ちょっと変わったサスペンス。



  1. 2006/03/09(木) 00:18:29|
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『拘束のドローイング9』

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目に驚く芸術美というものを堪能したくなって、渋谷シネマライズまで、最終日に観に行ってきた。

もう、なんというかこれは映画ではないなあ。
動く絵画というか、動く芸術写真ともいうべきか。
セリフはほとんどない。
音楽でいうところのインストのような。

あらすじ
舞台は日本。ある石油精製所で阿波踊りの隊列に先導されたタンクローリーが、伝説の捕鯨船「日新丸」の脇に停まる。タンクの液体は船上にある巨大な鋳型に流し込まれ、船が南極に向けて航行する中、“フィールド・エンブレム”の形を成してゆく。そこへ、遙かかなた別々の地から運ばれた男女ふたりの西洋の客人が辿り着く。身を清め、毛皮の婚礼衣装をまとい、貝の柱が立つ船内の茶室に導かれた男女は、奇妙な器で茶を一服するうちに恋に落ちていく…。

前半の映像は、とても機械的で人間味を感じさせない。
大勢の人間が列になって、阿波踊りをするシーンがあるけど、躍動感というものをまったく感じさせない、ある種の冷たさを感じてしまう。
石油精製所で働く人たちの、動作もしかり。
多分に、人の動きとか配列とか、かなり綿密に計算立てて撮っているのかもしれない。
中盤はかなりたるい。
特にビョークとバーニーがお茶をすすりあうシーンなんて特にそう。
正直、ブラックコーヒー一杯だけでは足りなかった。
自分の隣の隣に座っていた女性のお客が、口をポッカーンと開けて寝ていたのもなんだかすごくうなずける。
ただ、終盤、二人が恋におちて、お互いの体を切り刻むシーンは圧巻。
かなりグロイし、にせものの体だと分かっていながらも、おえっときてしまうシーンの連続。
ちなみに海水を漂う二人の生き血が、精子の形に見えたのはきのせいだろうか。
あと全体として、説明がかなり省かれているので、解釈はいろいろと出来そうな気がする。
鯨と人間は同じ哺乳類なのだから、その境界線はない、だとか。

正直、目に刺激的だったのは最後のシーンだけだったなあ。
あと、ビョークってかなり老けたおばちゃんなのだなあ。
年を重ねているのに、赤とかピンクの派手な服を着ているおばさんって、そういえば街でたまに見かけるなあ。

公式HP→http://www.wisepolicy.com/matthewbarney/

  1. 2006/03/04(土) 01:20:31|
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『crash』

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群像劇!

すごい、入りに入り乱れた群像劇。
およそ12個の小ストーリーがそれぞれ複雑に絡み合っている。

パンフ読むと、
”愛が擦れ違い、哀しみが砕け散る”とか、
”希望がなければ、前に進むことはできない”とかいう、
なんだかとても良いテーマを盛り込んでいるような印象を受ける。

ただあ。

話がばらばらに散らばりすぎていて、話を頭の中でまとめるのに精一杯で、いまいち感動の波が押し寄せては来なかった。
もう一度頭の中で人物関係を整理してから観ると、ひょっとしたら一回目よりもっと感動の波が押し寄せてくるのかもしれない。

あと、最後の方、強引に話しをまとめあげすぎているなあ、と感じた。

でも、車の事故で白人の警官が黒人の女性を瀕死の底から救うことで、二人の間にあった深いわだかまりが解けるくだりはとてもとても良かった。
人命を救うという行為は、人の行為の中でも最も善い、最善の行為なのかもしれない。

多民族国家、ザ・アメリカ映画!

  1. 2006/02/18(土) 00:34:47|
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『オリバーツイスト』

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罪と赦し!

『戦場のピアニスト』のロマン・ポランスキー監督最新作。

19世紀イギリスの街並みや人々の暮らしが見事に再現されていて、とてもスチームボーイっぽい。

どこかディズニー配給を思わせるような、音楽とか、挿入されていてとても児童向けに創られているなと感じた。

主人公は孤児院とか盗人の溜まり場とか、ありとあらゆる所にたらい回しにされる。
劣悪な環境に放り出されるにも関わらず、それに染まらずに、自然と(主人公は特に何かアクションを起こすわけではない、周りの人間に翻弄されているだけだ)正しい方向へ進んでいく主人公の姿がとても清々しかった。

「人からうけた親切は、たとえどんなものであっても感謝し、忘れてはならない」
盗人の老ボスが言っている。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ イツモシズカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ


  1. 2006/02/12(日) 02:46:20|
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『単騎、千里を走る。』

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大いなる偉大な退屈な映画。

『あの子を探して』はめちゃめちゃ良かったのにな?。
なのに!
なのに!
なのに!

高倉健はやっぱり高倉健で、やっぱりかっこよかった。
前半は説明冗長な会話だけが続いてとてもとても退屈だった。
後半の、笛とデジカメの光を使って行方をつかんでもらうシーンは良かった。
それにしても、男の子と高倉健の心を通わす方法、男の子がうんちするのを高倉健が横で見ていじわるする以外になんかなかったのかえ。
あの絶壁に行ってみたい。

関係が疎遠な親子の、その溝を埋める話っていうのは前にも何個か観た事があるけれど、その点では『セントラルステーション』の方が数1000倍良い。

それにしても仮面劇というのに、惹かれる。
この前観た『さらばわが愛 覇王別姫』でもあったけど、京劇っていうのにも惹かれる。
シンバルのバーンって音と、チャンチャンチャンっていう三味線?の音に合わせて剣を振りかざすっていう。
あの無機質な仮面もなかなかいけている。

あと、日本での雪国シーンは秋田の男鹿半島でロケが行われたようだ。
あの日本海の荒?い海と水しぶき!
日本海の海辺にたたずむ高倉健ってすごく絵になるなあ。

これからこの映画の損失を埋めるために、『ジェリー』を観てみよう。


  1. 2006/02/08(水) 22:49:59|
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『疾走』

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あ?あ。

何というか、不幸な出来事のオンパレードだ。
これでもか、これでもかっていうくらい不幸な事が立て続けに起きる。
家族の崩壊、いじめ、放火、自殺、殺人etc‥。

前半はとてもとても説明冗長でとてもとても退屈だった。
そして、後半にかけてバイオレンス描写というか、監督のSABU色がだんだんと濃くなっていき、物語もだんだんと救いのない方向に転がっていく。

もう何というか、もうこういう映画はうんざりだ。
今までもこういう思春期の少年少女にふりかかる不幸な現実、そしてそれに立ち向かっていく彼ら、のような映画は何度となく観てきていて、そしてもうそういうのにはうんざりだ。
『リリィシュシュのすべて』とか、あと最近観た『スイートシックスティーン』しかり。
何というかこう、観たあとどんよりとするような、ああ生きていくっていうのはつらいことなんだな、なんて思わせる映画っていうのは、もううんざりなんだ。

この前観た『生きたい』なんていう映画は、ものすごく重いテーマをはらんでいたけれど、とてもユーモアに満ち溢れていてどんよりとしなかった。

だから。
と言うわけではないけれど、今考えている映画の構想を大幅に変更しようと思った。
最後、主人公の友人に悲劇が起こって‥みたいにしようと思っていたけど、やっぱりやめた。
何かこう、悲劇というかそういう現実に起こる重苦しいことっていうのを、軽い気持ちで取り扱うっていうのに、どうしてか拒否感と言うかそういうものを感じてしまう。
最近、映画にしても音楽にしても、どこか快活でそして楽しいものを取り入れたいと思ってしまうのも、そのせいなのだろうか。

そういえば、映画観てる途中地震があったようで、映画館が揺れに揺れた。
揺れる映画館っていうのも、なんだかスリルがあっていいな。
ガオーって恐竜が吠えたと同時に揺れる。ディズニーのアトラクションのよう。

あと、映画館の真っ暗になる瞬間って、良い。
ああやっぱり映画館って居心地が良い。
ふかふかのイスに、そうして手にはメロンソーダを握って、映画のスクリーンとの一対一のにらめっこが始まる。
ただジュースの飲みすぎは尿意を催してしまうので、飲みすぎには注意しよう。
追伸 映画館さま
あなたのことが、好きなのです!好きなのです!

  1. 2006/02/01(水) 23:47:03|
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